マルセル・ミュール(Malcel Mule)
(1991年6月24日-2001年12月18日)
フランスのノルマンディー地方のオーブ生まれ
8歳のときにサクソフォンを始め、後にヴァイオリンとピアノを始めました。
サクソフォンコンクールに若いころから優勝し、1923年にギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団に入団後わずか2カ月で首席奏者になりました。
当時のジャズが流行していたことから、
当時のジャズと自分のヴァイオリン演奏からヒントを得た
独自のビブラート奏法はサクソフォーンにおいて
初めてのことであり、この時代を代表する最高の芸術の一つとして
高く評価されました。
1936年ギャルド吹奏楽団退団後は、自らのサクソフォン四重奏を
結成しました。
ミュールが結成したサクソフォーン四重奏団は全部で3つあり、
約40年間活動しました。
1つ目は、ギャルド吹奏楽団財団中に結成した四重奏団は
ギャルド・レピュブリケーヌ・サクソフォン四重奏団で
1928年に結成しました。
メンバーはこの4人です。
1928-1934
ギャルド・レピュブリケーヌ・サクソフォン四重奏団
ソプラノ |
マルセルミュール |
Marcel Mule |
アルト |
ルネシャリニェ |
René Chaligné |
テナー |
イポリートポワンブフ |
Hippolyte Poimbouef |
バリトン |
ジョルジュショーベ |
Georges Chauvet |
1934年にアルトとテナーの人が抜けて次のメンバーになりました。
1934-1936
ギャルド・レピュブリケーヌ・サクソフォン四重奏団
ソプラノ |
マルセルミュール |
Marcel Mule |
アルト |
ポールロンビー |
Paul Romby |
テナー |
フェルナンドロム |
Fernand L'homme |
バリトン |
ジョルジュショーベ |
Georges Chauvet |
1936年にミュールとロンビー、ショーベがギャルド吹奏楽団を退団したので、
ギャルドに残ったフェルナンドロムに代わり次のメンバーになり、
パリ・サクソフォン四重奏団として活動を始めました。
パリ・サクソフォン四重奏団
ソプラノ |
マルセルミュール |
Marcel Mule |
アルト |
ポールロンビー |
Paul Romby |
テナー |
R.シャロン |
R.Charon |
バリトン |
ジョルジュショーベ |
Georges Chauvet |
やがて、この団は、ミュールサクソフォン四重奏団と名前を変えました。
メンバーはこの4人です。
ミュールサクソフォン四重奏団
ソプラノ |
マルセルミュール |
Marcel Mule |
アルト |
A.ボッシー |
A.Bauchy |
テナー |
ジョルジュ |
Georges Grourdet |
バリトン |
マルセル |
Marcel Josse |
その後アルトの人が脱退したので、次の4人になりました。
ミュールサクソフォン四重奏団
ソプラノ |
マルセルミュール |
Marcel Mule |
アルト |
ジョルジュ |
Georges Gourdet |
テナー |
ガイラクール |
Guy Lacour |
バリトン |
マルセル |
Marsel Jousse |
ミュールは偉大なクラッシック・サクソフォーン奏者として世界的に知られ、
ミュールのために多くの曲が作曲されました。
歴史のページにも書きましたが、休止状態であった
パリ国立音楽院のサクソフォーン課の復活に貢献しました。
すでにサクソフォーン奏者として評価されていたミュールは、
サクソフォーン課の教授となり、
300人以上の学生を指導し、教え子の多くが、
有名なサクソフォーン奏者となりました。
須川展也(すがわのぶや)
(1961年7月25日- )
佐賀県生まれ
その後静岡県浜松市に移住し、静岡県浜松北高等学校、
東京芸術大学を卒業しました。
中学の吹奏楽部在学中に、サムテイラーを聴いて衝撃を受けて
サックスを始めめました。
当初はテナーサックスを吹いていて、ジャズっぽい曲に関心を示していましたが、音楽の授業で「アルルの女」を聴いてクラッシックに転換しました。
両親は人の役に立つ仕事に就いてほしいと思っていたので、
静岡県の難関高校である静岡県立浜松北高等学校へ進学しました。
高校合格記念としてサックスを買ってもらいました。
しかし、音楽の道をあきらめきれず両親の反対をおしきって
東京芸術大学に現役合格しました。
1988年から2010年のの22年間、東京佼成ウインドオーケストラの
コンサートマスターを務めました。
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