サックスの歴史
1842年にサックスが発明され、1846年に、特許登録されて世にでました。
このときにサクソフォーンと名づけられました。
サックスは吹奏楽団における木管楽器と金管楽器の橋渡しを目的に開発されました。
そのため小さく吹きながら様々なパフォーマンスがしやすい木管楽器の良さと、
大きな音が出しやすく力強い金管楽器の良さを兼ね合わせた楽器になりました。
サックスは最初、フランスを中心に広がり1857年、パリのパリ国立高等音楽院にサクソフォーン科が設置されますが、資金が足りず、人気もなかったため1870年に閉鎖されます。
そして、1894年にアドルフが亡くなり、サックスブームが下火になってしまいました。
しかしその後、アメリカでサックスが大ブレークします。
ブームの要因は、サックスの良さを生かし、当時市民に人気のあった吹奏楽におけるソロ楽器として多くの奏者、作曲家が注目されるようになったからです。
また、「JAZZ」音楽においてもしだいにサックスが大きな役割を果たしました。
今日では、POPS、吹奏楽、JAZZ、ROCKなど様々な音楽ジャンルで広く使用され、多くの年代の奏者に演奏されています。
アドルフ・サックスの生涯
アドルフサックスはベルギーのディナンで生まれました。
父のシャルル=ジョセフが、楽器製作者の影響もあり、早い時期から楽器制作に取り組んでいました。
15歳のときには、コンペティション(楽器の競技会)にフルートとクラリネットを出展し、
入賞しました。
ブリュッセルで楽器製作を学んだあと、本格的に楽器の製作に取り組めはじめ、
20歳のときには設計で特許を取得しました。
↑ディナンと
ビュリュッセルの場所の場所 |
↑ベルギーの場所 |
1841年にパリに移住しました。
1844年には、後のサクソルンとして知られるようになるキー付きのビューグル(右の絵)を展覧館に出展しました。
アドルフがつくったサクソルンは右の絵のような一般的なビューグルと異なり、7種類の管があります。
また、ユーフォニアムとよく似た外見で、フリューゲルホルンの発明につながるものでした。
1845年にサクソトロンバという金管楽器を発明しましたが、すぐに使われなくなりました。 |
ビューグル |
サクソフォーンの基礎となる発明の特許は1838年に取得し、1846年のころにはソプラノサックスからバスサックスまでの7種類が開発されていました。
詳しくは種類のページへ
アドルフは、生涯を通して楽器製作とパリ国立音楽院でサクソフォーン教育に携わり、1857年サクソフォーン科の教授に就任しました。
そのころ、ライバル会社の楽器製造連合は「新楽器は既存の特許の寄せ集め」だといい、
サックスの正当性に繰り返し攻撃を加え、サックスと彼の会社に対して長期にわたる裁判を行ったため、
1856年と1873年の2度にわたってアドルフの会社は破産することになりました。
長期の裁判だったため、アドルフは体調を崩して1853年と1858年の2度、がんのため入院しました。
1894年にパリで亡くなりました。
ちなみにパリ国立音楽院のサクソフォーン科は、アドルフの引退後長い間空席でした。
しかし、1872年のジョルジュ・ビゼーの「アルルの女」や、1874年の「展覧会の絵」、1928年のモーリス・ラヴェルの「ボレロ」などの
オーケストラ曲に多く取り入れられ、作曲家たちのサックスに対する意識が高まってきました。
次第にサックス奏者が増えてゆき、1942年サクソフォーン科の教授の後任にマルセル・ミュールが就任して、サクソフォーンの知名度は飛躍的に上がりました。
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