鵜飼の歴史


長良川鵜飼は今から約1300年前から行われており、織田信長や徳川家康といった権力者に保護されてきた。
鵜飼は漁獲効率が良くないため、明治維新後に大名等の後援を失い、数が減少していく。
現在では、屋形船から鵜飼の様子を楽しむ観光鵜飼へと変化しており、全国へと誇る観光資源となっている。

平安時代 宮中や公家の邸内の池で鑑賞されており、当時は高貴な人たちの遊びとして好まれていた。
鎌倉時代 平治の乱で源頼朝が敗走する際、当時の鵜飼の長・白明の家で
宿泊し、鮎鮨などのもてなしを受けた。
その後、毎年鮎鮨が鎌倉に送られるようになった。
室町時代 織田信長が武田信玄の使者に鵜飼を見せて接待をした。この時、信長が自ら鮎を選び土産として手渡した。
江戸時代 徳川家康が大坂夏の陣からの帰途、鵜飼を観覧。その後、
江戸城に毎年鮎が献上されるようになった。


 1955年  「長良川鵜飼用具」一式が、国の重要無形民族文化財
指定される。
 1996年  環境庁(現:環境省)の「残したい日本の音風景100選」に指定される。
 2005年  「ユネスコ無形文化遺産」の「代表リスト」記載を目指して、
運動を開始。
 2008年  「長良川の鵜飼漁」が岐阜県の重要無形民族文化財
指定される。
 2010年  「長良川鵜飼観覧船造船技術」、「鵜匠家に伝承する
鮎鮨製造技術」が
岐阜市重要無形民俗文化財に指定される。
 2012年  「長良川鵜飼観覧船操船技術」が岐阜市重要無形民俗文化財に指定される。

御料鵜飼
禁漁区である御料場の岐阜県・古津地区で年8回御料鵜飼を行う。そこで獲れた鮎を皇室に納めている。
また、明治神宮、伊勢神宮にも奉納されている。

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