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原爆ドームは広島県の物産の改良増進を図り、産業の発展に貢献する目的で、大正4年4月に建設された広島県物産陳列館で、チェコの建築家ヤン・レツルが設計したものです。北方の中国山地から広島湾へと流れる太田川が形成したデルタ上、太田川(本川)と元安川の分岐する地点が建設場所に選ばれ、その河岸約2,310平方メートルを埋め立て、旧広島藩の米倉と民有地を整地して加え、全体で約3,200平方メートルを敷地として使用していたといわれます。
建物は、煉瓦と鉄筋コンクリートで作られた3階建てで、正面中央階段室を5階建てドームとし、一部に地階を有していました。屋根のドーム部分は銅板葺、そのほかはスレート葺とし、ドーム先端までの高さはおよそ25メートル、建築面積はおよそ1,002平方メートルでした。また、噴水池をもつ洋風庭園や、四阿をもつ和風庭園も整備されていました。
建物は原爆の爆心地から北西約160メートルの至近距離にあり、熱線と爆風を浴びて大破、全焼しました。しかし、爆風が上方(爆発点高度約580メートル)からほとんど垂直に働いたため、ドーム中心部は奇跡的に倒壊を免れたと考えられています。「原爆ドーム」という呼び名は、建物の頂上天蓋の残骸が傘状になっている姿から「いつ、ころからともなく、市民の間から誰ということもなく自然に言い出された」といわれています。
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