美濃派水上道場跡                       北方町の歴史



* 指定別          県 
* 種別            無形文化財 
* 員数            一箇所、25基 
* 時代            江戸 
* 西暦            1807年 
* 作者            雨岡庵古梁坊 
* 構造・面積        宅地 49坪 蓮塔句碑 25基 
* 指定年月日        昭和31年3月28日(道場跡)
                 昭和49年11月13日(句碑) 
* 所在地           岐阜県本巣郡北方町北方1554西運寺
* 所有者           西運寺 
* 所有者住所        岐阜県本巣郡北方町北方1323-5 
* 管理者           北方町 
* 特筆事項         石柱(大) 高さ=2.0m 27cm角
                 石柱(小) 高さ=0.9m 15cm角


美濃派俳諧水上道場跡とは。
江戸時代の中期から、北方の経済は活発となり、この経済力を土台にして文芸活動が盛んとなりました。
その1つが「俳諧」です。
現在、西運寺の境内に「美濃派獅子門水上道場」の跡が伝えられています。



美濃派獅子門道場とは。
美濃派獅子門は松尾芭蕉の流れを引いた俳諧の流派です。
単価の上の句《五七五》と下の句《七七》は別の人がつくり、お互いに競争するように句をつくっていくのです。
北方出身の人が宗匠になったので、獅子門の中心が北方に移ったようでした。
宗匠になると全国をまわって門人を指導するので、経済的にも恵まれていなければなりませんでした。
それができたのは北方には全国に向けて商売をするような商人がいて、経済的にゆとりがあったからでしょう。



どんな人々がおられたのか。
北方で俳諧が盛んになったのは、美濃派を開いた各務支考(松尾芭蕉の弟子の中でも特別優れた弟子)の後継者である仙石盧元坊が北方の出身であって、
全国に美濃派を広めたことや、この町に多くの弟子を育成したからです。
盧元坊の作風は、分かりやすい言葉で人生をたくみにうたっており、明るい表現であったと言われています。
その後を五竹坊、再和坊・・・と北方ゆかりの人が受け継ぎ「北方派」とも言われるぐらいに盛んでした。
水上道場は五竹坊が師弟を指導した場所で、歴代の宗匠をしのぶ石碑が並んでいます。



美濃派水上道場跡には、どんな俳諧が石碑として残っているのか。
美濃派水上道場跡には25の俳諧が石碑として残っています。
下の写真のように石碑が並べてあります。

それでは、入口向かって左からどんな俳諧があるのかを紹介していきます。

 
 
       1. 玄々庵
     道もりの 歩々に薫風 有難き       


    2. 磐古庵
     白雲や はなれて松に かかる月


   3. 旭庵
     苦は楽の 本とや云はん 種下し


   4. 杜鷗花庵
     夏の宵 金華は炭と 遠花火


   5. 除庵
     古戦場 石不言 蠻虫


   6. 一味庵
     和田津海の 長閑に映ゆる 朝日哉


   7. 千秋庵
     かく時は 龍田も只の 木葉哉


   8. 麦庵
     落葉とぶ 夕べや雲の 山巡り


   9. 魯松庵
     聞きなほす 聲なかりけり 杜字


  10. 遅楽庵
     しべとなる 楳にふたたび 寒さ哉


  11. 徐風庵
     正月の 雨や落つく さざれ石


  12. 雨岡庵
     あけぼのや雲おさまりて 山桜


  13. 朧庵
     動かねば 動かで涼し 蓮の花


  14. 盧元法師
     鶯に とはるるまでぞ かざり竹


  15. 芭蕉翁松尾芭蕉
     今日ばかり 人も年よれ 初時雨


  16. 梅花佛
     野に咲けば 野に名を得たり 梅の花


  17. 帰童仙
     宵の雨の道道もかはくや 桃の花


  18. 森々庵先
     比叡もけふ 雲なき空や 更衣


  19. 一楽庵
     初さくら 咲きたる今日も 暮れにけり


  20. 五竹庵
     楚く種の ありてや雪に 煙る山


  21. 梔庵
     窓にきく埜山の秋や 萩の風


  22. 汀庵
     雪に聴く 心に塵は なかりけり


  23. 古今庵
     聞ふとも おもはぬ折も 杜鵑


  24. 曙庵
     花ならば 散るべき鐘を 夕紅葉

 
  25. 耕月庵
     降りそめし 峰を忘れず 残る雪

○○翁
  年をとった男

○○庵
 よく俳諧の石碑にその俳諧を読んだ人の名前が、○○庵で終わっているが、
 文人、学者、画家、茶人などが、本名以外につける風雅な別名として付けられている。