\鵜舟/
鵜飼に使われる舟です。全長は13メートルにもなります。
鵜舟には、鵜匠のほか、助手の「中乗り」と舟を操る
共乗り」の3人1組が乗り、鮎を取りながら川を
下って行きます。現在は、長良川鵜飼(岐阜市)の場合、
岐阜市営の鵜飼観覧船造船所で造った鵜舟が使用
されています。

鵜飼の商目地は篝火(かがりび)です。
篝火を燃やす鉄製の籠を「」、
支える棒を「篝棒」といい、
燃料を「松割木」といいます。
\鵜飼の歴史/
鵜飼の歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に、
鵜養部のことが書いてある。『古事記』にも鵜養のことを
歌った歌謡が載っている。
平治の乱源頼朝が義朝と敗走するとき、義朝とはぐれて長良川河畔をさまよい、鵜飼の長である白明の家に
やどり、そこで食した鮎すしの美味に飢えをいやしたが、
建久3年(1192年)右大将として上洛するさい、白明の子
を呼び出して恩に報い、また毎年鮎すしを鎌倉に送る
ように命じた。
永禄7年(1564年)織田信長は長良川の鵜飼を見物し、
鵜飼それぞれに鵜匠の名称をさずけ鷹匠と同様にし、
一戸に禄米10俵あて給与した。
元和元年(1615年)徳川家康が鵜飼を見物し、石焼きの
鮎に感賞して以来、江戸城に毎年鮎を献上するのが
例となり、鵜匠21戸に戸ごとに10両の扶持を給わらせた。
その献上の際には老中の三判証紋をもって継立てて
江戸まで2昼夜で送致した。その後、鵜飼は衰え、
文化2年(1805年)には12戸となり、その12戸に毎年
120石、532両2分を給与するとして、再び回復した。
鵜飼は、中国、日本などで行われている漁業の方法です。ヨーロッパでは
16世紀から17世紀の間、スポーツとして行われたそうです。
日本の鵜飼は、岐阜県、愛知県、京都府、愛媛県、大分県、福岡県
11府県、13箇所で行われている伝統的な漁法です。
鵜飼ではウミウという鳥を使います。
舟の上にいる鵜匠と呼ばれる人がウミウを操り、丸のみした鮎を戻させる
古代的漁法です。

鵜飼




































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