時代劇などでよく見る和傘。岐阜でも岐阜和傘として生産されています。
いつから、どんな目的で作られているのでしょうか?↓
その歴史の始まりは1639年(寛永16年)に、加納藩主として明石(兵庫県)から移ってきた松平丹波守光重が、地元の明石から傘職人を連れて来たこと
だとされており、1756年(宝暦6年)に加納藩主永井伊賀守尚陳が、輪中地帯にある加納藩の水害による藩の財政難や
下級武士の生活難の救済を目的とし和傘作りを内職として奨励し、これが現在の岐阜和傘の基礎となりました。
江戸時代には年間約50万本を生産し江戸へも出荷していた岐阜和傘ですが、
明治時代には分業が始まったことで生産量も大幅に伸び、約1,200万本までになりました。
この頃、既に海外へも輸出を始めていたそうです。
その後、昭和の最盛期には年間約1,500万本を生産しましたが、現在はかなり減少して年間数万本が生産されているという状況です。
制作においては、分業制なので1本の傘をつくるのに、切る、割る、貼る、つなぐ、塗るといった場面で多くの職人が携わり、相当な熟練技術を必要とします。
和紙を使っているので雨傘としては使えないか、と思いきや和紙の表面に油を塗ったことで水に弱いという弱点は克服されています。
何人もの職人が精魂を込めて作り上げられた和傘には、情緒深さや趣、美しさが感じられ、日本一の和傘と称されることもあります。
種類 | 特徴 | 用途 |
番傘(ばんがさ) | 少し大きめのしっかりとした傘。 普通、男性用の和傘を指す。 |
雨傘など |
蛇の目傘(じゃのめがさ) | 番傘より少し小さめの傘。普通、女性が使う傘を指す。 傘の中心に白い輪が入った様子が、上から見ると ヘビの目に見えたことが蛇の目の由来だとされている。 |
雨傘など |
野だて傘(のだてがさ) | 野外でのお茶会等で日よけ、雨よけの為にたてられる。 通常よりかなり大きい。 |
野外で雨傘・日傘 |
舞踊傘(ぶようがさ) | 芸者さん等が踊る際に使う、華やかな模様が描いた和傘。 | 小道具 |