人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は(ひともおし ひともうらめし あじきなく よをおもうゆえに ものおもうみは)

*作者 後鳥羽院(ごとばいん)



( 現代語訳 )



人間がいとおしくも、また人間が恨めしくも思われる。
つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。



( 言葉 )


【人もをし 人も恨(うら)めし】

「をし」は「愛(を)し」と書き、「愛おしい」という意味になります。
「恨(うら)めし」は「恨めしい」という意味です。
「も」は並列の助詞で、この2つが対照的に使われています。


【あぢきなく】

形容詞「あぢきなし」の連用形で、「面白くなく」という意味になります。


【世を思ふ故(ゆゑ)に】

「世を思ふ」は「世間・天下のことを思いわずらう」という意味です。

 
【もの思ふ身は】

「もの思ふ」は自分の心に沸き上がるさまざまな思いのことで、「身」は作者自身を指します。
上の句に続く倒置法を使っています。



( 鑑賞 )

 作者・後鳥羽院は、平安時代末期、
源氏と平家の戦いが続いていた激動の時代に生まれました。
戦続きで都は荒廃し、京から東国の鎌倉へ遷都が行われ、
貴族の時代が終わって武士の時代が始まろうとしていました。
そもそも後鳥羽院は、滅亡した平家が西国へ逃れるおり、
4歳の安徳天皇を連れていったため、即位した人です。
即位の翌年、安徳天皇は壇の浦の合戦で入水しています。
貴族の立場はそれほど不安定で無力になっていました。


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この一首は、後鳥羽院が33歳の折りに詠んだ歌だと言われています。
憂鬱さが漂う歌ですが、それは貴族社会の終わりに立ち会った院の深い実感でしょう。
後鳥羽院は、政治権力を奪われた立場にあり、また貴族社会の復権を強く望み、
歌会など勢いが盛んだった時代を彷彿とさせるような催しを数多く執り行っています。
自らも非常な歌の名手で、百人一首の撰者・藤原定家らに新古今和歌集の編纂を命じるなど、
構成に多くの遺産を残しました。
この歌を百人一首の99番に、100番に院の皇子・順徳院の
ももしきや 古き軒端のしのぶにも なほあまりある 昔なりけり
と村上天皇時代の貴族の全盛期を懐かしむ歌を選んだ、定家の気持ちがよくわかります。
激動の歴史を100首の並びに織り込み、
元主君を想いをこめた定家の百人一首の世界は、なんと広いことでしょうか。