*作者 従二位家隆(じゅにいいえたか)
( 現代語訳 )
風がそよそよと吹いて楢(ナラ)の木の葉を揺らしている。
この、ならの小川の夕暮れは、
すっかり秋の気配となっているが六月祓(みなづきばらえ)のみそぎの行事だけが、
夏であることの証なのだった。
( 言葉 )
【風そよぐ】
「そよぐ」は、「そよそよと音をたてる」という意味です。
【ならの小川の夕暮れは】
「ならの小川」は、奈良市のことではなく、
京都市北区の上賀茂(かみがも)神社の境内を流れている
御手洗川(みたらしがわ)を指しています。
さらに「なら」はブナ科の落葉樹、
ナラ(楢)の木との掛詞で、
「神社の杜に生える楢の木の葉に風がそよぐ」意味と、
「御手洗川に涼しい秋風が吹く」という意味を掛けています。
【みそぎぞ】
「みそぎ」は「六月祓」のこと。
川の水などで身を清め、穢れを払い落とすこと。
神道では、
毎年旧暦の6月30日に六月祓(みなづきばらえ)=夏越の祓(なごしのはらえ)といって、
その年の1月から6月までの罪や穢れを祓い落とす行事が行われました。
12月30日の晦日祓(みそかばらえ)とも対応する大きな行事です。
旧暦の6月30日は、現在の暦では8月上旬にあたります。
「ぞ」は強意の係助詞で、「六月祓こそが」という意味です。
【夏のしるしなりける】
「しるし」は「証拠」や「証」といった意味です。
「ける」は気づきの助動詞「けり」の連体形で、
「ぞ」と係結びになっています。
全体で「夏の証なのだよ」という意味になります。
( 鑑賞 )
涼しい風がそよそよと神社の杜にある楢(なら)の葉ずえをそよがせている。
「ならの小川」すなわち御手洗(みたらし)川にも風は吹き、秋の気配が感じられる。
ここは上賀茂神社。
今日は6月30日だから、年前半の穢れを落とす「六月祓(みなづきばらえ)」の行事の真っ最中だ。
行事が終われば、明日からは旧暦の7月。夏はもう今日で終わって、
明日からは暦の上では秋となる。
しかし、この「みそぎ」の行事だけは、夏であることの証しであるなあ。
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この歌は、詞書に「寛喜元年女御入内屏風に(かんぎがんねんにょうごじゅだいのびょうぶに)」とあります。
前の関白だった藤原道家の娘、立尊子(しゅんし。立へんに尊)が
後堀河天皇の中宮(皇后の別名です)になって入内した時に、
屏風が嫁入り道具としてあつらえられます。
その屏風には宮中での年中行事が月ごとに描かれているのですが、
その6月の部分に六月祓の絵の下に書かれたのが、この歌であったというわけです。
今で言うなら、豪華なカレンダーの挿し絵に付けられた名歌、といったところかもしれません。
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平安時代は今と違って、月の動きをもとに1カ月を30日、
1年を360日と決める太陰暦を使っていました。
こよみによく出てくる「旧暦」というのがそれです。
旧暦では1〜3月を春、4〜6月を夏というように3カ月ごとで区切っていました。
また、今の1年365日である太陽暦に比べ、1カ月ほど月日がずれています。
よって、この歌に出てくる6月30日の「六月祓(みなづきばらえ)」は、実は8月の初め頃に行われていました。
しかも旧暦では、7月1日からは秋と決められていました。
「6月末なのに秋なんておかしいなあ」と思う人は、このことを頭においておいてください。
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この歌は、上賀茂神社を流れる御手洗川に吹く風を心地よく感じながら、
6月の季節の行事を見ている、という爽やかな情景が描かれています。
六月祓(みなづきばらえ)は、平安時代は12月の晦日と並んで、
1年の上半期の穢れをすべて川の水で洗い流してしまおうという、大きな区切りの行事です。
「大晦日並み」ということを考えると、この行事のスケールが想像できるでしょう。
清涼に流れる川に夏のイメージが写される秀歌で、
夏の暑さを忘れてしまうような涼しさを感じないでしょうか?