こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ(こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに やくやもしおの みもこがれつつ)

*作者 権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)



( 現代語訳 )


松帆の浦の夕なぎの時に焼いている藻塩のように、
私の身は来てはくれない人を想って、恋い焦がれているのです。



( 言葉 )


【まつほの浦】

兵庫県淡路島北端にある海岸の地名です。
松帆浦の「松」と、「待つ」が掛詞になっています。


【藻塩(もしお)】

海藻から採る塩のこと。
古い製法で、海藻に海水をかけて干し乾いたところで焼いて水に溶かし、
さらに煮詰めて塩を精製しました。
「焼く」や「藻塩」は「こがれ」と縁語で、和歌ではセットで使われます。
「まつほ〜藻塩の」は、「こがれ」を導き出す序詞(じょことば)です。


【夕なぎ】

夕凪と書き、夕方、風が止んで海が静かになった状態のことです。
山と海の温度が、朝と夕方にはほぼ同じになるので、こういう状態になります。


【身もこがれつつ】

火の中で燃えて身を焦がす海藻(藻塩)の姿と、恋人を待ちこがれる少女の姿を重ねた言葉。
昔も今も、恋する女の子の気持ち  は変わらないことがよく分かりますよね。

( 鑑賞 )

この歌の主人公は、
海に入ってあわびなどの海産物を採る海乙女(あまおとめ)の少女です。
いつまでたっても来てはくれない、
つれない恋人を待って身を焦がす少女。
やるせなく、いらだつ心を抱くその姿を、
松帆の浦で夕なぎ時に焼く藻塩と重ねて表しています。
煙がたなびく夕方の海辺の景色と、
初々しい女の子の心の揺れが読み手に伝わる、
とても繊細でロマンチックな名歌といえるでしょう。


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定家は、日本の代表的歌集「新古今和歌集」の選者の一人でもありました。
新古今集は、人の気持ちを風景などに託して描く「象徴的な心象表現」が特徴。
素朴でストレートな万葉集や、テクニックをこらして
言葉の遊びを楽しむ古今集よりぐっと「大人っぽい」味わいを持ちます。
この歌にも、新古今を編んだ定家らしい心象表現が感じられます。