*作者 殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)
( 現代語訳 )
あなたに見せたいものです。松島にある雄島の漁師の袖でさえ、
波をかぶって濡れに濡れても色は変わらないというのに。
(私は涙を流しすぎて血の涙が出て、涙を拭く袖の色が変わってしまいました)
( 言葉 )
【見せばやな】
「ばや」は願望の終助詞で、「な」は詠嘆の終助詞です。
「見せたいものだ」という意味になります。
【雄島(をじま)の蜑(あま)の】
「雄島(をじま)」は、歌枕としても有名な陸奥国(現在の宮城県)の松島にある島のひとつです。
「蜑(あま)」は漁師のことで、海女と違い男女どちらでもこう言います。
【袖だにも】
「だに」は「〜でさえ」という意味の副助詞です。
「袖でさえ」という意味になります。
【濡れにぞ濡れし】
格助詞「に」は同じ動詞を繰り返して、意味を強める時に使われます。
「ぞ」は係結びになる係助詞で、過去の助動詞「き」の連体形「し」が結びになります。
【色は変はらず】
袖の色が変わるのは、泣きすぎて涙が枯れ、ついには血の涙が流れるためです。
中国の故事によります。
( 鑑賞 )
この歌は百人一首にも登場する源重之(みなもとのしげゆき)が作った
松島や 雄島の磯にあさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか
という歌を本歌(ほんか)にした「本歌取り」の歌です。
本歌取りというのは、昔の有名な歌の一部を引用したりさまざまにアレンジして
新しい歌を作る、和歌の技法のひとつです。
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重之の歌は「(つらい恋で涙を流し)松島の雄島の漁師の袖くらいだろう、
私の袖のように濡れているのは」と詠っています。
大輔は、重之に答えて(返歌)「私の袖こそ見せたいものです。
涙も枯れて血の涙が流れ、色が変わってしまったのですから。
松島の雄島の漁師の袖でもこうはならないでしょう」と詠ったのです。
辛い恋で泣き続ける女性の激情を詠った一首ですが、
あたかも重之と時代を超えて歌で恋の問答をしているようですね。
本歌取りは、百人一首の撰者、藤原定家の時代に流行ったものですが、
なかなか粋なテクニックだと感じられます。
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この歌は「袖の色が変わる」と語って、
涙が枯れて血の涙が出るほど激しく泣いたことを暗示しています。
ちなみに「血涙」というのは、中国の古典から来た言葉です。
韓非子によると「ある農夫が畑で玉(ぎょく=宝石の一種)の巨大な原石を見つけた。
王に2度献上したが磨いても石のままだったので、両足を切られてしまった。
そこで農夫は激しく泣いて血の涙を流した。
結局3度目に玉が磨き出され、農夫はやっと称えられた」という話などが元です。
なげく心を(やや大げさに)表現した言葉としてよく使われます。