*作者 喜撰法師(きせんほうし)
( 現代語訳 )
私の庵は都の東南にあって、このように(平穏に)暮らしているというのに、
世を憂いて逃れ住んでいる宇治(憂し)山だと、世の人は言っているようだ。
( 言葉 )
【わが庵は】
自分の住む庵(いおり)のことです。
【たつみ】
東南の方向。
昔は方角を十二支で表しました。
東南は辰(たつ)と巳(み)の方角の中間にあたるのでこう呼ばれます。
【しかぞすむ】
「しか(然)」は、「このように(心静かに)」の意味です。
一説には、山奥なので「鹿」に掛けたとも言われます。
【世をうぢ山と】
「うぢ」は「宇治」(現在の京都府宇治市)と「憂し」の掛詞となっています。
「憂し」は、「つらい」とか「情けない」などの意味です。
【人はいふなり】
「人」は、世間一般の人のこと。「は」には、自分はそう思ってはいないけど、という意味が込められています。
( 鑑賞 )
とかく世の中の人というのは、他人が自分と違う暮らしをしていると
「何かあの人は変わっている」とか
「何か辛いことでもあったんじゃないだろうか」と思いがちなものです。
ワイドショーなどを見ているとよく分かりますが、
芸能人や文化人などにスキャンダルを期待する好奇心というのは
昔も今も変わらないのかもしれませんね。
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世間の人は、都から離れて宇治山に暮らしている私を評して、
「あの人は憂し(宇治)、つまり世の中をうとましく思ってここに隠棲しているんだよ」と言う。
しかし私自身は、平穏無事に心のどかに暮らしているんだよ。
喜撰法師はこのような心持ちを表現したくて、こんな歌を作ったようです。
「やれやれ、人の噂とはしょうがないものだ」と、
苦笑している法師の声が聞こえてくるような歌です。
ここには、ぽかんと明るく飄々とした雰囲気があり、
喜撰法師のこだわりのない人柄を想像させるものがありますね。