玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば しのぶることの 弱りもぞする(たまのおよ たえなばたえね ながらえば しのぶることの よわりもぞする)

*式子内親王(しょくしないしんのう)



( 現代語訳 )


我が命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。
このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱ってしまうと困るから。



( 言葉 )


【玉の緒】

もともとは、首飾りなどに使われる玉を貫いた緒(を。ひものこと)のことです。
しかしここでは「魂を身体につないでおく緒」の意味で使われています。
「絶え」「ながらへ」「よわり」は緒の縁語で、どれも緒の状態に関係しています。


【絶えなば絶えね】

「絶えてしまうのなら絶えてしまえ!」という意味の語気の強い言葉です。
下二段動詞「絶ゆ」の連用形に完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」と接続助詞「ば」で、
順接の仮定条件「絶えてしまうのなら」になります。
下の「絶えね」の「ね」は完了の助動詞「ぬ」の命令形で、「絶えてしまえ!」という意味です。


【ながらえば】

「絶えなば」と同じく、下二段動詞「ながらふ」の未然形に接続助詞「ば」がついて、
順接の確定条件を示します。「生き長らえてしまうのならば」というような意味です。


【忍ぶる】

「堪え忍ぶ」という意味です。
上二段動詞「忍ぶ」の連体形です。


【よわりもぞする】

係助詞「も」と「ぞ」が重なり、「〜すると困る」という意味になります。
「ぞ」+「する」で係り結びになります。
秘めた恋を堪え忍ぶ気持ちが弱くなって、恋が露見すると困る、というような意味になります。



( 鑑賞 )

このまま生きながらえていると、今まで堪え忍んできたあの人への恋心の堰が破れてしまい、
恋心が他人に知られるかもしれません。
私の魂よ、絶えるのならば今絶えてしまっておくれ。恋を忍ぶ意志が弱くなっても困るから。


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百人一首を代表する抑えた恋の激情を感じさせる歌です。
死んでもかまわないから、この忍ぶ恋を世間に知られぬようにしておくれ。
なんという強烈な女性でしょうか。
この歌はもともと「忍ぶ恋」という題を与えられていたと、新古今集の詠題にあります。
現代の我々から考えてみると、そうまでして恋を秘めなくてもと思うのですが、
妻ある人への恋などはこんな気持ちになるのかもしれませんね。


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この歌の人気は高く、詩人の萩原朔太郎も「悲恋の歌人 式子内親王」の中で、
「式子内親王の歌は、他の女流歌人のそれと違って、全くユニイクで独自の情趣をもっている。
それは和泉式部の歌のように、外に向かって発する詠嘆ではなく、
内にこめて嘆く歔欷(きょき=すすり泣き)であり、特殊な悩ましい情熱の魅力を持っている」と書いています。
モダンで都会的であり、ナイーブかつ哀感にあふれた詩を数多く作った朔太郎は、
どこかで式子内親王が自分と相通ずると思っていたのかもしれません。