なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな(なげきとて つきやはものを おもわする かこちがおなる わがなみだかな)

*作者 西行法師(さいぎょうほうし)



( 現代語訳 )

「嘆け」と言って、月が私を物思いにふけらせようとするのだろうか?
 いや、そうではない。(恋の悩みだというのに)月のせいだとばかりに流れる私の涙なのだよ。



( 言葉 )


【嘆けとて】
 
「とて」は「〜と言って」という意味の格助詞で、「月が私に嘆けと言って」という意味です。
月を人のように表す擬人法が使われています。


【月やはものを】

「やは」は反語を表す複合の係助詞です。下の「する」が結びで、「〜するのだろうか?いやそうではない」と訳します。


【思はする】

「する」は使役の助動詞「す」の連体形で「やは」の結びです。
「月が物思いにふけらせるのだろうか? いやそうではない」という意味になります。


【かこち顔なる】

「かこち顔」は「かこつ」からきた言葉で「かこつける」、つまり他人(ここでは月)のせいにする、という意味です。


【わが涙かな】

「かな」は詠嘆の終助詞です。



( 鑑賞 )

西行はお坊さんでしたが、月と花を好んで歌に詠み、恋歌が多いことで知られます。
旅人の自由な心がそうさせたのか、闊達で大胆な歌が多く、
現代でも通じるようなさっぱりとした心が感じられます。
願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の望月(もちづき)のころ
  このようにひきこまれるような魅力があり、非常に人気の高い大歌人です。


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この歌は「月前の恋」という題を与えられて詠んだ題詠です。
月を見ると、自然に涙が流れてくる。
恋の悩みなのに月が嘆けと言っているようだ。
そんな月のせいにして、うらめしげに流れる我が涙だなあ、というほどの意味でしょうか。
昔から、月は物思いにふけらせ、悲しみにくれさせてしまう何かがあるようです。
日本ではお月見という行事がある一方で、月を見ることは忌むべきことだとの考え方もありました。
英語でも「ルナティック」は「気がふれた」という意味ですし、
満月になると変身するオオカミ男の伝説もあります。
時には青く輝き、怪しい雰囲気をかもし出す月。
放浪を続けた西行は、そんな月を愛して月の歌を多く詠みました。
鳥羽天皇の北面の武士(天皇を護る近衛兵)というエリート職を捨て、俗世を捨てた自分。
それと日の光を見ることなく、いつも暗い夜空に輝いている月に相通じるものを感じたのかもしれません。
鳥羽天皇に出家を願い出る時には、こんな歌を詠んでいます。
をしむとて をしまれぬべき この世かは 身をすててこそ 身をもたすけめ