世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる(よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまのおくにも しかぞなくなる)

*作者 皇太后宮大夫俊成(こうごうぐうだいぶしゅんぜい)



( 現代語訳 )


この世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法などないものだ。
思いつめたあまりに分け入ったこの山の中にさえ、哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる。



( 言葉 )



【世の中よ】

「よ」は詠嘆の間投助詞です。
「というものは、ああ…」というようなイメージでしょうか。


【道こそなけれ】

「道」とは手段とか手だてといった意味です。
「こそ」は強意の係助詞で「なけれ」は形容詞「なし」の已然形でこその結びとなります。
「(悲しみを逃れる)方法などないものだ」という意味。


【思ひ入(い)る】

「深く考えこむこと」ですが、「入る」は「山に入る=隠遁する」と重ね合わされ、
「隠棲しようと思い詰め、山に入る」という意味になります。


【山の奥にも】

「山の奥」は、俗世間から離れた場所、という意味です。


【鹿ぞ鳴くなる】

牝鹿を慕う牡鹿が山の中で鳴いている風情は、哀れを誘い和歌では人気があります。
「ぞ」は強意の係助詞。「なる」は推定の助動詞「なる」の連体形で、「鹿が鳴いている」という意味です。



( 鑑賞 )

この歌は、百人一首を選んだ藤原定家のお父さん、俊成の作品です。
27歳の時に詠んだ「述懐百首」の中で鹿をテーマにしたものだと書かれています。
「道」というのは、世の中のつらさを逃れる道、方法ということ。
平安時代には世俗を離れてお坊さんになる、出家することでした。


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昔の27歳というと立派な大人で、今で言うならちょうど中年にさしかかって、
これからの人生をしっかり考えていこうとする時期に当たります。
この歌が詠まれた当時は、西行法師をはじめ、俊成と同じ年頃の友人たちが次々と出家していました。
俊成もそんな中でさまざまに悩み、悩んでもどこへ行こうと悩みはつきない、
という内容のこの歌を詠んだのでしょう。


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作者藤原俊成は、西行と並んで後鳥羽上皇に賞賛されたように、平安時代末を代表する歌人でした。
その歌はやさしく、技巧に走らず自分の心の内を語っていく抒情的です。今で言うなら癒し系でしょうか。
今の季節なら、次のような歌があります。
伏見山松の影より見わたせば 明くる田のもに秋風ぞ吹く