天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも)

*作者 阿倍仲麿(あべのなかまろ)

( 現代語訳 )

天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。
あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。  

( 言葉 )


【天の原】

  大空のこと。
「原」は、「海原」と同じく、
大きく広がっている様子を表す時に使われます。


【ふりさけ見れば】

遠くを眺めれば、という意味。「ふりさけ見る」の已然形に、
確定条件を表す接続助詞「ば」がついたものです。


【春日なる】

現在の奈良市春日野町あたりの土地で、奈良公園から春日大社までの土地。
遣唐使の出発に際しては、春日神社で旅の無事を祈ったといわれます。  


【三笠の山】

春日大社後方、春日山原始林の手前にある山。
若草山と高円(たかまど)山の間にあります。
御笠山とも御蓋山とも書きます。  


【出(い)でし月かも】

「かも」は奈良時代に使われた詠嘆の終助詞です。
かつて見た三笠山の上に昇る月を表しながら、唐の地で今見ている月を重ねています。

( 鑑賞 )

作者紹介にあるように、安倍仲麿は遣唐使として唐に渡り、
そこで驚くような秀才ぶりを発揮して玄宗皇帝のお気に入りとして高位の役人になった人です。
しかし、あまりに気に入られたため、
日本に帰ることを許してもらえませんでした。
唐にいて望郷の思いがつのる仲麿でしたが、30年を経てようやく帰国を許され、
明州(現在の寧波(ニンポー)市)で送別の宴が催された時に詠まれたのが、この歌でした。


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天を見ると美しい月が昇っている。
あの月は、遠い昔、遣唐使に出かける時に祈りを捧げた
春日大社のある三笠山に昇っているのと同じ月なのだ。
ようやく帰れるのだなあ。


*--------*

現在と違い、奈良時代には船で中国から日本へ帰るのは、
それこそ命がけの大事業でした。
仲麿の思いもかくやですが、残念ながら船は難破し、
結局戻った中国で54年暮らして、72歳でその生涯を閉じます。
仲麿が逝去した時は、あの中国の大詩人・李白も悲しみ、
「晁卿衡(ちょうけいこう。仲麿のこと)を哭す」という詩を作っています。