*作者 崇徳院(すとくいん)
( 現代語訳 )
川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれる。
しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、
いつかはきっと再会しようと思っている。
( 言葉 )
【瀬を早(はや)み】
「瀬」は川の浅いところのことです。
「〜を+形容詞の語幹+み」と続くと、「〜が・形容詞・なので」と理由を表す言葉になります。
ここでは「川の瀬の流れが速いので」という意味です。
【岩にせかるる 滝川(たきがは)の】
「せかる」は「堰き止められる」という意味の動詞「せく」の未然形で、後に受動態の助動詞「る」が付きます。
「滝川」は、急流とか激流という意味です。上の句全体が序詞で、下の句の「われても」に繋がります。
【われても末(すゑ)に】
「われ」は動詞「わる」の連用形で、「水の流れが2つに分かれる」という意味と
「男女が別れる」という意味を掛けています。
「ても」は逆接の仮定で、「たとえ〜したとしても」という意味ですので
「2つに分かれてたとしても後々には」という意味になります。
【逢はむとぞ思ふ】
「水がまたひとつに合う」のと「別れた男女が再会する」の2つの意味を掛けています。
「きっと逢いたいと思っている」という意味です。
( 鑑賞 )
この歌は、崇徳院が1150年に藤原俊成(しゅんぜい。定家の父)に命じて編纂させた
「久安百首」に載せられた一首です。
山の中を激しく流れる川の水が、岩に当たって堰き止められ、
岩の両側から2つに分かれて流れ落ち、再びひとつにまとまる。
その様子を離ればなれになった恋人への想いに重ねて詠う激しい一首です。
「障害を乗り越えても必ず逢おう」という気持ちが込められており、
激しく燃えさかる情熱と、強烈な決意のようなものが感じられます。
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もちろんこの歌は恋の歌です。
しかし歌の作者・崇徳院は、18年間位についたものの、
当時の鳥羽上皇に強引に譲位させられます。
さらに息子・重仁親王を天皇にと願ったものの、
やはり上皇の考えで後白河天皇に位を奪われます。
そして上皇の死後、後白河天皇と、
どちらの皇子を天皇にするかで争って破れたのが「保元の乱」でした。
後世には、崇徳院の不遇な生涯とこの歌を結びつけ、
強引に譲位させられた無念の想いが込められている、
と解釈する研究者もいます。
それほど激しい想いを感じさせる歌でもあります。
崇徳院は乱に破れて讃岐国松山(現在の香川県坂出市)に流された後、
後白河天皇を呪い、ヒゲや爪を伸び放題に伸ばして恐ろしい姿になりました。
調べに訪れた朝廷の使いは「生きながら天狗と化した」と報告し、
また今昔物語では西行が讃岐を訪れた際に怨霊となって現れます。