憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを
*作者 源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)
( 現代語訳 )
(私に冷淡で)つれないあの人が、私を想ってくれるようにと初瀬の観音様にお祈りをしたのに。
まさか初瀬の山おろしよ、お前のように、「より激しく冷淡になれ」とは祈らなかったのに。
( 言葉 )
【うかりける 人を】
「うかり」は形容詞「憂し」の連用形に過去の助動詞「けり」の連体形がついたもの。
「憂し」は「思い通りにならず、つらい」とか「つれない」という意味になります。
「つれないあの人を」という意味です。
【初瀬の山あらしよ】
「初瀬」は現在の奈良県櫻井市にあり、
平安時代にさかんだった観音信仰で有名な長谷寺があり
【はげしかれとは】
「はげしかれ」は形容詞「はげし」の命令形です。
「もっと激しくなれ」と呼びかけた言い方です。
【祈らぬものを】
「ものを」は逆接の接続助詞です。
「祈らなかったのに」という意味です。
( 鑑賞 )
この歌は「千載集」の詞書によると、藤原定家の祖父、藤原俊忠(としただ)の屋敷で、
「祈れども逢わざる恋」という題で詠んだ題詠の一首です。
相手と恋仲になりたいと思っても、相手は冷たい態度で振り向いてくれません。
そこで大和国にある初瀬の長谷寺に祈ったものの相手はますます冷たくなるばかり。
それゆえ「初瀬の山から吹き下ろす山おろしみたいに、
より厳しくなれなどと祈らなかったのに!」と嘆くのが、この歌の趣旨です。
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平安時代には、観音様が広く信じられていました。
観音様は、危機になると救いの手をさしのべてくれるとされます。
戦の前に武士が「南無観世音菩薩」と唱えるのも、
観音信仰が広まっていたひとつの証左です。
特に、大和国初瀬(現在の奈良県櫻井市)の長谷(はせ)寺は、
京都の清水寺(きよみずでら)などと並ぶ霊験あらたかな
名刹として参拝する人が絶えなかったようです。
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歌は、初瀬の山から吹き下ろす嵐に呼びかける形をとり、
報われない辛い恋心がたかぶるさまが巧みに表現されています。
素直で純粋な恋心を描き、激しい感情の動きを「山あらしよ」と字余りで詠んで際だたせる。
そんなところに、言葉を自由自在に操る作者の真骨頂が感じられます。
作者・源俊頼は、情感あふれる歌をありとあらゆるテクニックで鮮やかに詠む和歌の天才で、
現在でも多くのファンをもちます。
この歌に興味を持ったら「金葉集」なども詠まれ、
より多くの歌に触れてみるのもいいでしょう。