心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな(こころにも あらでうきよに ながらえば こいしかるべき よわのつきかな)

*作者 三条院(さんじょういん)



( 現代語訳 )

心ならずも、このはかない現世で生きながらえていたならば、
きっと恋しく思い出されるに違いない、この夜更けの月が。



( 言葉 )


【心にもあらで】

「心ならずも」とか「自分の本意ではなく」などという意味です。
「に」は断定の助動詞「なり」の連体形、「で」は打消の接 続助詞です。
「心にも あらでうき世に ながらへば」とあるので、
本心では早くこの世を去りたいと思っていることを表しています。  


【うき世】

「浮世」、「現世」のことで、「つらいこの世の中で」というような意味になっています。


【ながらへば】

「生き長らえているならば」という仮定の意味を表しています。
下二段動詞「ながらふ」の未然形に接続助詞「ば」が付き、
「これから長く生きているとすれば」という未来のことを想像する内容になっています。  


【恋しかるべき】

「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形で、「夜半の月」にかかります。


【夜半(よは)の月かな】

「夜半(よは)」は夜中や夜更けのことで、「かな」は詠嘆の終助詞です。
全体では「この夜更けの月のことがなあ」という意味になります。

( 鑑賞 )


本当は死んでしまいたいくらいだけど、心ならずも生きながらえ
てしまったなら、今夜宮中から眺めているこの夜ふけの月が、きっ
 とさぞかし懐かしく思い出されてくることだろうなあ。


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生きていることの辛さを歌う一首ですが、この歌にはちょっと複雑な背景があります。
作者紹介にもありますように、三条院は後に
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと 思えば」
と歌うほど絶大な権力を誇った藤原道長に、目を患ったことを理由に退位を迫られていました。
といっても本当の理由は病気ではなく、先帝一条天皇と自分の娘との間にできた子供を次の天皇に即位させ、
道長が摂政として政治権力を一手に握りたかったからです。
そこで、疲れ果てた三条院はついに退位を決意します。
その時に詠まれたのが、この歌なのです。
権力闘争で疲れ果てた三条院には月の明かりはどのように映ったのでしょうか。
この歌が収録されている「後拾遺集」の詞書には、
「例ならずおはしまして、位など去らむとおぼしめしける頃、月の明かりけるを御覧じて」とあります。
「例ならず」は病気で、という意味ですので
「病気で退位を決意された時、明るく輝く月を見て」ということになるでしょうか。
まさに劇的な瞬間に詠まれた歌といえるでしょう。


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百人一首の選者、藤原定家はどうしてこのような歌を選んだのかはわかりません。
しかし定家が仕え、「新古今集」の編纂を命じた後鳥羽上皇は、
鎌倉幕府打倒を企てて失敗し(承久の乱)、隠岐に流され、その地で没しました。
定家の心には、政争に敗れて悲運の死を遂げた後鳥羽上皇と三条院が、
重なって感じられたのかもしれません。