*作者 前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)
( 現代語訳 )
(私がお前を愛しく思うように)一緒に愛しいと思っておくれ、山桜よ。
この山奥では桜の花の他に知り合いもおらず、ただ独りなのだから。
( 言葉 )
【もろともに】
「一緒に」という意味の副詞です。
【あはれと思へ 山桜】
「あはれ」は感動詞「あ」と「はれ」が組み合わさって生まれた言葉で、
「愛しい」「いつくしい」という意味の感動を表します。
山桜を人のように疑人化し、「一緒に愛しいと思っておくれ」と呼びかけています。
【花より外(ほか)に】
「花」は「山桜」のことです。
「より」は限定を表す格助詞です。
【知る人もなし】
「知る人」とは知人のことではなく、「自分を理解してくれる人」のことを指します。
( 鑑賞 )
作者・行尊は、修験道の行者として熊野や大峰の山中で厳しい修行を積んだ人です。
修験道の行者はいわゆる山伏。奈良時代に役小角(えんのおづの)が開いた仏教の一派です。
山中で厳しい修行を積んで霊力を得、悪霊を退散させたり憑き物を祈祷で払って病気を治したりと、
さまざまな霊験を露わにします。
そうした能力を得るために、不眠不休で食事も取らずに山を駆けたり厳しい修行を長く行いました。
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この歌は「金葉集」の詞書によると、大峰(現在の奈良県吉野郡の大峰山)
で偶然山桜を見かけて詠んだ歌だそうです。
厳しい修行の最中にふと目の前に現れた山桜。
それは行尊にとってどれほど心を慰めるものだったでしょうか。
人っ子ひとり見えない山奥に咲く美しい桜は、作者にとって天からの賜り物のように見えたかもしれません。
つい、桜を人に見立て「一緒にしみじみ愛しいと感じておくれよ、山桜。
お前の他に私の心を分かってくれる者はここにはいないのだから」
と孤独をわかちあっています。
清廉な印象のある歌ですが、それは毎日の厳しい修行に対する一服の清涼剤の役割を、
山桜が果たしてくれたからでしょう。