いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな(いまはただ おもいたえなん とばかりを ひとづてならで いうよしもがな)

*作者 左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)



( 現代語訳 )



今となっては、あなたへの想いをあきらめてしまおう、ということだけを、
人づてにではなく(あなたに直接逢って)言う方法があってほしいものだ。



( 言葉 )

【今はただ】

「今となってはもう」という意味です。


【思ひ絶えなむ】

「思ひ絶え」は動詞「思ひ絶ゆ」の連用形で、「想いをあきらめてしまおう」という意味です。
「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形で、「む」は意志の助動詞の終止形です。


【とばかりを】

「と」は引用の格助詞、「ばかり」は限定の意味の副助詞です。
「…ということだけを」という意味になります。


【人づてならで】

「直接に」「人を間に立てずに」という意味になります。
「で」は打消の接続助詞です。


【言ふよしもがな】

「よし」は「方法」や「手段」のことで、「もがな」は願望を表す終助詞です。



( 鑑賞 )

親の反対でもうあなたと出会うことができない。
今はただ、あなたへのこの想いをあきらめてしまいます、ということだけを、
手紙や伝言ではなく、なんとかあなたに直接逢って言う方法がないものだろうかと苦しんでおります。


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悲しい別れを迎えなければならなかった男が、なんとか恋人にもう一度逢えれば、と切実に願う話です。
この歌は実話で、この歌の作者・藤原道雅と三条院の皇女・当子(とうし)内親王との
秘密の恋のエピソードが残されています。
後拾遺集の詞書には
「伊勢の斎宮(さいぐう/いつきのみや)わたりよりまかり上りて侍りける人に、
忍びて通ひけることを、おほやけも聞こしめして、守り女(め)など付けさせ給ひて、
忍びにも通はずなりにければ、詠み侍りける」とあります。


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時の三条院の皇女・当子は伊勢神宮の斎宮の任を終えて、都に戻りました。
その当子の元へ藤原道雅がひそかに通うようになります。
当子は15歳ほど、道雅は24歳くらいでした。
やがてその噂は父・三条院の耳に届き、院は激怒。
当子に見張りの女房を付けて、道雅と逢わせないようにしました。
そこで恋愛を禁じられ悲しんだ道雅が詠んだ歌がこれです。


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伊勢神宮の斎宮は、神に仕える巫女ですので恋愛はかたく禁じられていましたが、
当子はすでに任を解かれて自由の身でした。
しかし三条院は激怒したのです。
恋を禁じられて2人は別れ、当子は出家して若くして病死します。
また、道雅は元々父が失脚した身で、さらにこの事件で不遇となります。
後に人を殺させたり乱暴したりで「悪三位」と呼ばれた道雅ですが、
その荒れぶりは、不遇の人生のためかもしれませんね。
しかし、親の邪魔で壊される恋は哀しいものです。後の2人の性格や人生にも影響を与えます。
平安時代の皇女というとまた話は別でしょうが、人の親なら暖かい目で子供の恋を見守りたいものですね。