夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ(よをこめて とりのそらねは はかるとも よにおうさかの せきはゆるさじ)

*作者 清少納言(せいしょうなごん)



( 現代語訳 )


夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、
函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。
(だまそうとしても、決して逢いませんよ)



( 言葉 )


【夜をこめて】

動詞の連用形「こめ」は、もともと「しまい込む」とか「包みこむ」などの意味です。
「夜がまだ明けないうちに」という意味になります。


【鳥の空音(そらね)は】

「鳥」は「にわとり」で、「空音」は「鳴き真似」のことです。


【謀(はか)るとも】

「はかる」は「だます」という意味になります。
「とも」は逆接  の接続助詞で「〜しても」という意味です。
「鶏の鳴き真似の謀ごと」とは、中国の史記の中のエピソードを指しています。


【よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ】

「よに」は「決して」という意味です。
「逢坂の関」は男女が夜に逢って過ごす「逢ふ」と意味を掛けた掛詞です。
「逢坂の関を通るのは許さない」という表の意味と
「あなたが逢いに来るのは許さないA」という意味を掛けています。



( 鑑賞 )

この歌には、清少納言の深い教養と頭の良さがよくわかるエピ
 ソードがあります。それをご紹介しましょう。


*--------*


ある夜、清少納言のもとへやってきた大納言藤原行成(ゆきなり)は、しばらく話をしていましたが、
「宮中に物忌みがあるから」と理由をつけて早々と帰ってしまいました。
翌朝、「鶏の鳴き声にせかされてしまって」と言い訳の文をよこした行成に、
清少納言は「うそおっしゃい。中国の函谷関(かんこくかん)の故事のような、
鶏の空鳴きでしょう」と答えます。


*--------*


「函谷関の故事」というのは、中国の史記にある孟嘗君(もうしょうくん)の話です。
秦国に入って捕まった孟嘗君が逃げるとき、一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、
部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせたのでした。
清少納言は「どうせあなたの言い訳でしょう」と言いたかったのです。
それに対して行成は「関は関でも、あなたに逢いたい逢坂の関ですよ」と弁解します。
そこで歌われたのがこの歌です。
「鶏の鳴き真似でごまかそうとも、この逢坂の関は絶対開きませんよ(あなたには絶対逢ってあげませんよ)」
という意味です。
即座にこれだけの教養を盛り込んだ歌を返すとは、さすが清少納言。
ずば抜けた知性を感じさせますが、男の立場から言えば、ちょっと怖いかな?