ありま山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする(ありまやま いなのささはら かぜふけば いでそよひとを わすれやわする)

*作者 大弐三位(だいにのさんみ)



( 現代語訳 )


有馬山の近くにある猪名(いな)にある、笹原に生える笹の葉がそよそよと音をたてる。
まったく、そよ(そうよ、そうですよ)どうしてあなたのことを忘れたりするものですか。



( 言葉 )


【有馬山】

摂津の国・有馬郡(現在の兵庫県神戸市北区有馬町)にある山です。
昔から猪名(いな)とは組でよく歌に詠まれます。


【猪名(いな)の笹原】

有馬山の南東にあたる、摂津の国猪名川に沿った平地。
現在の兵庫県尼崎市・伊丹市・川西市あたりになります。
昔は、この辺りは一面に笹が生えていました。


【風吹けば】

風が吹いたら。
有馬山から風吹けば、までの上の句全体は、
下の「そよ」という言葉を引き出すための「序詞(じょことば)」です。


【いでそよ】

「いで」は「いやはや、まったく」などの意味の副詞。
「そよ」は笹がたてるさらさらという葉ずれの音を示すとともに
「そうよ」だとか「そうなのよ!」などの意味もあります。
二重の意味を持つ「掛詞(かけことば)」です。
シャレのようなものですが、短歌では重要なテクニックのひとつです。


【人を忘れやはする】

「人」はこの場合、相手の男のことで、「やは」は反語の助詞。
どうしてあなた(人)を忘れることができるでしょう、というような意味です。



( 鑑賞 )

詞書には「離れ離れ(かれがれ)なる男の「おぼつかなく」など言ひたりけるに詠める」とあります。
しばらく来なかった男が、
 「不安です(あなたが心変わりしていないかと思って)」と手紙を寄越してきたので、
「よくもそんなことが言えますこと」というような気持ちで返した歌というわけです。


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全然音沙汰がなかったくせに、ずいぶんしてから、「あなたが心変わりしてないか心配でたまりません」なんて、
身勝手な男の言いぐさですよね。
そこを、現在の兵庫県にある有馬山近くの笹に風が吹く時、
笹が「そよそよ」と音を立てるのに引っかけて、
「そうよ、ほんとにそうなのよ。忘れているのはあなたの方じゃございませんこと?」と
優雅な歌でちょっと嫌みを言ったのですね。
平安女性のしたたかな愛の表現といえるかもしれません。