*作者 紫式部(むらさきしきぶ)
( 現代語訳 )
せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるかどうかの
わずかな間にあわただしく帰ってしまわれた。
まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように。
( 言葉 )
【めぐり逢ひて】
月に託して、幼友達と巡り逢ったことを言っています。
「月」と「めぐる」は「縁語」です。縁語は関係が深くよく一緒に使われる言葉のことです。
【見しやそれとも】
見たのが「それ」かどうかも、意味。
「それ」は表向きは月のことですが、友達のことを指しています。
【わかぬ間に】
見分けがつかないうちに、という意味です。
【雲隠れにし】
月が雲に隠れてしまったことですが、友達が見えなくなってしまったことも含んでいます。
【夜半の月かな】
「夜半(よは)」は夜中・夜更けの意味。
最後の「かな」は、詠嘆の終助詞ですが、
「新古今集」や百人一首の古い写本では、「月影」になっています。
( 鑑賞 )
「新古今集」には、幼友達と久しぶりに逢ったが、ほんのわず かの時間しかとれず、
月と競うように帰ったので詠んだ、と本人が書いています。
そうしたことから雲間にすぐ隠れてしまう月になぞらえ、
再会した幼友達とつもる話もできずに帰られてしまった寂しさを詠んだ歌です。
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紫式部は、お父さんの藤原為時が越前(今の福井県)に赴任したため、20代の半ばに地方で暮らしました。
しかし、雪国での厳しい生活が辛かったのか、1年ほどで都に戻っています。
今のように交通も発達しておらず、電話もテレビもない平安時代。
都を離れて遠国の越前で暮らすのは、相当な淋しさがあったのでしょう。
幼い頃、兄が読んでいた「史記」(中国の歴史書)をたちまち暗記し、
兄の間違いまで指摘してしまったほどの才女ですから、その思いはひとしおだったに違いありません。
この歌にはそうした背景があります。