あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな(あらざらん このよのほかの おもいでに いまひとたびの あうこともがな)

*作者 和泉式部(いずみしきぶ)



( 現代語訳 )


もうすぐ私は死んでしまうでしょう。
あの世へ持っていく思い出として、今もう一度だけお会いしたいものです。



( 言葉 )



【あらざらむ】

「あら」は動詞「あり」の未然形で「生きている」という意味です。
「む」は推量の助動詞「む」の連体形で、全体で「生きていないであろう」という意味になります。


【この世のほかの】

「この世」とは「現世」という意味ですので、「この世の外」は現世の外の世界、
つまり死後の世界ということになります。


【思ひ出に】

「来世での思い出になるように」という意味です。


【今ひとたび】

「もう一度」という意味です。


【逢ふこともがな】

「逢ふ」は、男女が逢い一夜を過ごすことで、
「もがな」は願望の終助詞で「〜であったらなあ」と、実現が難しい希望を語ります。



( 鑑賞 )

老いさらばえて私は死の床にあります。もうすぐ私は死ぬでしょう。
あの世へもっていく思い出に、もう一度だけあなたにお逢いして、愛していただけたらと思うばかりです。


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  後拾遺集の詞書には、「心地(ここち)例ならずはべりけるころ、人のもとにつかはしける」とあります。
歌の通り、病気で死の床に就いている時に、心残りを歌に託して男のもとに贈ったということです。


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この歌には、実はさほどの技巧はこらされておらず、
作者の心情をストレートに表現した歌といえます。
それにしても「あらざらむ」ではじまるこの歌から感じられる女性の激情、
強烈なインパクトはどうでしょうか。
もう今や自分が死にかけている荒い息の下から、
「あなたにもう一度逢いたいのです!」と叫んでいるのです。
ひたむきさを越えた、狂おしいほどの情念が感じられますね。
和泉式部には他にも
黒髪の 乱れも知らずうち臥せば まづかきやりし 人ぞ恋しき
などという歌があり、与謝野晶子のような激しさが感じられます。
今なら、中島みゆきなどに当たるかもしれませんが、非常に感性の鋭い女性だったようです。


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和泉式部は、とにかく恋多き女性として有名で、平安日記文学の代表「和泉式部日記」も、
複数の男性との恋愛の経緯を描いたものです。
作者プロフィールにも少し書きましたが、最初の夫・道貞と数年で破局した後、
為尊(ためたか)親王と結ばれますが、親王が1年ほどで26歳の若さで病死。
続いてその弟・敦道(あつみち)親王と結ばれます。
しかし敦道親王も若くして病死、
時の最高権力者・藤原道長からは「浮かれ女」と言われ、父親の雅致からは勘当。
それにもめげず一条天皇の中宮彰子に仕え、
藤原保昌(やすまさ)とも結婚します。
果たして苦労が多かったのか、もって生まれた性か、
とにかくそれだけ次々と恋愛できるということは、
式部が魅力的な女性だったからでしょう。