滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なおきこえけれ)

*作者 大納言公任(だいなごんきんとう)



( 現代語訳 )


もうすぐ私は死んでしまうでしょう。
あの世へ持っていく思い出として、今もう一度だけお会いしたいものです。



( 言葉 )


【滝の音は】

滝の流れ落ちる水音は


【絶えて久しくなりぬれど】

「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形で、「聞こえなくなって長くたつけれど」という意味を表しています。


【名こそ】

「名」は名声や評判のこと。
「こそ」は強調の係助詞です。


【流れて】

流れ伝わって、という意味を表します。
「流れ」は滝の縁語です。


【なほ聞こえけれ】

「なほ」は「それでもやはり」の意味の副詞です。
「けれ」は、前の「こそ」を結ぶ言葉で「けり」の已然形となります。



( 鑑賞 )

「祇園精舎の鐘の声 盛者必衰の理を表す」などと平家物語の冒頭にあるように、栄枯盛衰は人の世の常。
人はやがて死んでいくものですが、世の中には不滅のものがあります。
滅びの美学を語る平家物語そのものが依然、我々の知るところであるように、
名品というものは作者の死後も、作者に代わって生き続けるものです。
そんな名作を作るのが、はかない幻のような人生を生きる人間の夢でしょうか。


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滝は枯れて、その音はもう聞こえないけれど、
その名声だけは今だに人々の間で語り継がれているのだよ。
この歌は滝になぞらえて、作者が文学者たる自らの思いを語ったものでしょうか。
あまたの先人のように、人々の間で伝説となるような名作・名歌を世に残したい。
それが私の志なのだと、この歌は語っているようです。
歌は技巧をこらした、というより滝に仮託して心情を表した、
比較的ストレートなものだといえるでしょう。
だからより一層、我々の心に響くのでしょうね。