忘れじの ゆく末までは かたければ けふをかぎりの いのちともがな(わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうをかぎりの いのちともがな)

*作者 儀同三司母(ぎどうさんしのはは)



( 現代語訳 )


「いつまでも忘れない」という言葉が、遠い将来まで変わらないというのは難しいでしょう。
だから、その言葉を聞いた今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに。

( 言葉 )


【忘れじの】

「忘れじ」は、「いつまでもあなたを忘れない(あなたへの愛は変わらない)」という男の言葉です。
「じ」は打消しの意志の助動詞です。


【行く末(ゆくすゑ)までは】

「行く末」は「将来」という意味で、全体で「将来いつまでも変わらないことは」という意味になります。


【難(かた)ければ】

「難しいので」という意味です。
形容詞「難し」の已然形「難け」に接続助詞「ば」がついて確定条件になります。


【今日(けふ)を限りの】

「今日」は、男が「いつまでも忘れない」と言ってくれたその日を指します。
「今日を最後に(死ぬ命)」という意味になります。


【命ともがな】

「と」は結果を表す格助詞、「もがな」は願望を示す終助詞で、
「命であればよいなあ」という意味になります。

( 鑑賞 )

あなたはおっしゃった。
 「いつまでもあなたのことを忘れないよ」と。
けれど将来のことなど分からない。きっとあなたはそのうち私への愛などなくしてしまい、
私の許を訪れることもなくなるでしょう。
そう思うと、幸せな言葉を聞いた今日の今ここで、命が終わってしまえばいいのにと思うのです。


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新古今集に掲載された歌で、詞書には「中関白(藤原道隆)通ひ初め侍りけるころ」とあります。
夫であった時の関白・道隆が夫として作者の家に通いはじめた頃に歌った歌です、
という意味で、新婚ほやほやの妻が一番幸せな時期に読まれたもののようです。
平安時代の貴族の夫婦生活は一夫多妻制で、結婚当初は男性が女性の家へ通ってくるのが慣習でした。
これを「通い婚」といいます。
2人は新婚ほやほやのアツアツですから、毎日のように夫が通ってくるこの時期はさぞや幸せな日々だったでしょう。
だから作者は幸せに心から喜び「今、このまま死んでしまいたい」と歌っているのです。
ほほえましい幸せが匂ってくるような歌ですね。


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ただ、通い婚は一種残酷な制度で、
夫が妻に愛情を感じなくなると家を訪れなくなり、そのまま離婚となります。
家に通っている間は贈り物や生活費などが潤沢に妻の家に贈られるのですが、
通わなくなるとそれも途絶え、妻の家はさびれて貧しくなっていきます。
当時の女性は待つことしかできず、
男が来なくなり子もなければ生活もできないかもしれない環境にありました。
儀同三司母はそういう将来のことを、幸せの絶頂で感じたのかもしれません。
将来に一抹の不安を感じながらも、それを知っているからこそ今の愛に命をかける。
百人一首の愛の歌が典雅な中にも激しい情熱を秘めているのは、
そういう当時の生活の姿があったからかもしれません。


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それにしても、この歌は技巧を好んだ新古今集の中には珍しいほど技巧をこらさず、
素直に自分の想いを描いた歌です。
後世の歌人たちは、この歌を「くれぐれ優しき歌の体(ほんとうに優しい歌だ)」と評価しました。
愛される幸福の中に、将来へのかすかな不安を感じとる。
それがこの歌のストレートなメッセージを深いものにしているようです。


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この歌の作者・儀同三司母は清少納言らが仕え、
女性文芸サロンとして有名な中宮定子の母親です。
さぞや華やかな幸せに包まれていたでしょう。
しかし夫の死後、息子の伊周が恋した女性の家に夜な夜な通う男を不審に思い、
兄弟で待ち伏せして矢を射たところ、それは先の天皇・花山院でした。
花山院は女性の妹のもとに通っていたのです。
この事件は時の権力者・藤原道長によって謀反の嫌疑を掛けられます。
この事件で一族は失脚し、彼女の晩年も不遇でした。
栄華を極めた貴族の没落ですが、ある意味歌の不安は当たったのかもしれません。