田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ(たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ)

*作者 山部赤人(やまべのあかひと)



( 現代語訳 )



田子の浦に出かけて、遙かにふり仰いで見ると、
白い布をかぶったように真っ白い富士の高い嶺が見え、そこに雪が降り積もっている。



( 言葉 )


【田子(たご)の浦に】

田子の浦は、駿河国(現在の静岡県)の海岸です。
ただし、現在の田子の浦と同じ場所かは不明です。
「に」は作者の立っている場所を示す格助詞です。  


【うち出(い)でてみれば】

「うち」は動詞の前につく接頭語で、言葉の調子を整えるために付けます。
「みれ」は動詞「見る」の已然形で、接続助詞「ば」 は已然形から続くと確定条件を表します。
 「出でてみる」は「出る+見る」という2つの動作を表したもので「浦に出て眺めてみると」という意味になります。  


【白妙(しろたへ)の】

「白妙」はコウゾ類の木の皮の繊維で織った純白の布のことです。
富士に掛かる枕詞になっています。


【富士の高嶺に】

「富士山の高い嶺(みね)」のことです。


【雪は降りつつ】

「つつ」は反復・継続の接続助詞で、時間の継続の意味がこめられており、
雪が連綿と降り続いていることを表します。
ただ、雪が富士に降り続いていることは田子の浦からは見えませんので、作者の想像でしょう。

( 鑑賞 )

冬のある日、田子の浦へ出てみた。
するとはるかに望む富士の霊峰が、まるで真っ白な布のように雪をかぶった姿で雄大にそびえている。
さらにその頂上には今も雪が降り続いているのだ。


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  澄み切った空気がピシリッと音を立てそうなくらい寒い冬の日。
 息が白くなるそんな日に、海岸べりから富士山を眺めてみましょう。
  冬の富士は「白富士」と呼ばれる、まるで1枚の純白のヴェールをふわりと置いたような世界。
そこにしんしんと雪が降っているのです。
それはずっと、この歌の中で降り続きます。
  想像しただけで鳥肌が立つような、なんと美しい世界でしょうか。
こんな見事な情景をよく描き得たものです。
  青い海辺と真っ白な霊峰と、そこに音もなく降り積もる雪。
広大で超然とした、幻想的な絵のようです。


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  この歌は、幽玄を主題に置いた「新古今集」の中から取られた一首です。
新古今集撰者の藤原定家がいかにも好みそうな一首だといえますね。
  実はこの歌は、最初に収録された「万葉集」では
 「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」
となっています。
 「白妙の」は布の白さにたとえた表現ですが、
こちらは「真白にそ」となっていて、
より直接的な言い方になっています。
最後の「ける」も「降ってるなあ」というような、
今初めて気が付いた感動を示す表現になっていて、
百人一首の歌よりずっと素朴であることが分かるでしょう。
一方、この新古今集バージョンは表現がずっと繊細で、
「降りつつ」のように時間の流れが消えたような幻想的な情景となっています。
男ぶり、素朴さの万葉集と、都会的で幽玄、
繊細な新古今集の違いを考えるのにいい一首だといえるでしょう。