*作者 恵慶法師(えぎょうほうし)
( 現代語訳 )
つる草が何重にも重なって生い茂っている荒れ寂れた家。
訪れる人は誰もいないが、それでも秋はやってくるのだなあ。
( 言葉 )
【八重葎(やえむぐら)】
「葎(むぐら)」は、つる状の雑草の総称。
「八重」は幾重にも重なることで、つる草が重なってはびこっている状態。
「八重葎」は、家などが荒れ果てた姿を表すときに、象徴的に使われる言葉です。
【しげれる宿】
「宿」は和歌独特の言い回しで、家のことです。
草ぼうぼうの荒れ果てた家のことを表しています。
【人こそ見えね】
「ね」は、打ち消しの助動詞「ず」の已然形。
「こそ〜ね」で逆接の文章を作ります。
「人は見あたらないけれども」の意味。
【秋は来にけり】
「秋は来にけり」の「けり」は、今気づいた、という感動を示しています。
( 鑑賞 )
詞書には「河原院にて、荒れたる宿に秋来るといふ心を、人々詠み侍りけるに」とあります。
このように、歌人たちが集まって同じ題で詠み合った歌を「題詠歌」といいます。
つる草がぼうぼうに生い茂るさびれた家。そこには誰も訪れる人はいない。
それでも季節だけは移り変わっていくのだなあ、という内容の歌です。
定家たちが編んだ「古今集」によって、はじめて「秋は寂寞の季節」というイメージが作られました。
秋は紅葉を愛でる楽しいだけの季節ではないという、繊細な感覚ですね。
そんな情趣を、如実に表したのがこの歌だといえるでしょう。
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河原院は、京の東六条に源融(みなもとのとおる・9世紀の歌人で百人一首にも歌がある)が作った豪邸。
奥羽の塩釜を模した大庭園で有名でした。
しかし、恵慶の時代には荒れ果て、融の曾孫にあたる安法法師が住んで、
廃園を好む歌人たちがよく訪れていたそうです。
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河原院のあった場所は、京都の北東、鴨川のほとりの五条大橋の近辺でした。
今は遺跡として、大橋のたもとに標識が立っています。
すでに恵慶の時代に、廃園として滅びの美学の象徴としてあった河原院。
千年以上の時を経た私たちの時代からは、その痕跡を見るだけですが、
歌を詠んだ恵慶、さらに幽玄の心からこの歌を選んだ定家の心持ちが、
かすかに伝わってくるような気が、しないでしょうか。