*作者 曽禰好忠(そねのよしただ)
( 現代語訳 )
由良川の河口の流れが速い瀬戸を漕ぎ渡る船頭が、櫂をなくして行く先も分からずに漂っていく。
そんなようにこれからどうなるのか行く末が分からない私の恋の道行きだ。
( 言葉 )
【由良の門(と)】
由良は丹後国(現在の京都府宮津市)を流れる由良川の河口です。
「門(と)」は、海峡や瀬戸、水流の寄せ引く口の意味で、河口で川と海が出会う潮目で、潮の流れが激しい場所です。
【舟人】
船頭さんのことです。
【かぢをたえ】
「かぢ」は、櫓(ろ)や櫂(かい)のように舟を操る道具のことで、
船の方向を変える現在の「舵(かじ)」とは異なります。
「たえ」は下二段活用動詞「絶ゆ」の連用形で、「なくなる」という意味です。
ここまでが序詞になります。
【行くへも知らぬ】
上の句の流される舟の情景と、下の恋の道に迷う部分との両方に意味がまたがる言葉です。
「行く末が分からない」という意味になります。
【恋の道かな】
「道」は、これからの恋のなりゆきを意味します。
「門(と)」や「渡る」「舟人」「かぢ」「行くへ」「道」はすべて縁語です。
( 鑑賞 )
由良川が海と接する河口の海峡。潮の流れが複雑で流れも速い。
舟に慣れた船頭でさえ、つい流れに櫂を取られてなくしてしまい、
急流の中の木の葉のように翻弄されてどうしようもできなくなってしまう。
私の恋もそれと同じだ。これからどうなるのか行く末もわからぬ恋の道よ。
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さて、私の恋もどうなることやら。
頬杖をついて溜息を吐いている作者の姿が見えるようですね。
由良川は京都府の北部、宮津市を通って日本海に流れ込む川ですが、
河口部分はちょうど川の水と海の水が混じって流れが速い上に、波が乱れて渦などもできています。
熟練した船頭さんでもつい川船の櫂を流されてしまい、
急流に翻弄されてどうすればいいのかと途方にくれたりもするようです。
今回の歌は、その情景を「序詞」として語り、私の恋もそれと同じで、これからどうなるか分からない。
途方にくれてしまっている、と歌っています。
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恋の行方はともかく、説明されてみると内容は非常に分かりやすい歌ですし、
実感を得やすい歌でもあります。
ただし、縁語を多用したり序詞を使ったりと、
こてこてに厚塗りしすぎるほどの技巧をこらしている点にも注目してみましょう。
こうした修飾的に技巧をこらした作風は、「新古今集」の特徴を如実に表すもので、
素朴な感情とは言えないかもしれませんが、非常に知的だとも言えます。
そうした点が撰者藤原定家の好むところだったのでしょう。
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この歌の作者はどうも偏屈な性格だったようです。
たとえば、寛和元(985)年の円融院(えんゆういん)
の御幸の歌会に招かれなかったため、粗末な格好で乗り込み、
「才能は決してそこいらの方々に比べ劣っていない。自分のような名歌人が招かれぬはずがない」と言ってまわり、
襟首をつかまれて追い出された、というエピソードがあるくらいです。
世間では物笑いの種で出世もしなかったようですが、
奇矯なところはあるとはいえ、歌の実力は確かでした。