あはれとも いふべき人は 思ほえて 身のいたづらに なりぬべきかな(あわれとも いうべきひとは おもおえで みのいたずらに なりぬべきかな)

*作者 謙徳公(けんとくこう)



( 現代語訳 )



私のことを哀れだと言ってくれそうな人は、他には誰も思い浮かばないまま、
きっと私はむなしく死んでいくのに違いないのだなあ。



( 言葉 )


【あはれとも】

「あはれ」は「かわいそう」「気の毒に」などの意味の感動詞。
「とも」の「も」は強調の係助詞です。


【いふべき人は】

全体で「言ってくれそうな最愛の人は」という意味です。
「べき」は当然の意味の助動詞「べし」の連体形で、「人」は「最愛の人」のことを意味します。


【思ほえで】

「思ほえ」は下二段活用動詞「思ほゆ」の未然形で「思い浮かぶ」の意味、
「で」は打消の接続助詞で「思い浮かばず」という意味になります。


【身のいたづらに】

「いたづら」は「はかない」とか「無駄だ」という意味で、
「身を無駄にする」→「死ぬ」ことを意味します。しかもむなしい死に方です。


【なりぬべきかな】

「ぬ」は完了の助動詞で、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形であり、「ぬべし」で強調の意味です。
全体で「なってしまうのだろうなあ」という意味になります。



( 鑑賞 )

あなたをずっと愛しく思っております。あなたに恋いこがれ続けても、
そんな私のことを哀れだと言ってくれそうな女性は他に誰も見あたらないまま、
むなしく無駄に死んでいくのでしょうか。


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江角マキコや米倉涼子などを代表として、今は女性が強くてかっこいい時代です。
男より颯爽としてさっぱりする、過去を振り返らない魅力に溢れていますが、
じゃあ男はそんな女性に振り回されてさめざめと泣いているのでしょうか?
「拾遺集」の詞書には「もの言ひはべりける女の、つれなくはべりて、さらに逢はずはべりけれ」とあり、
言い寄った女性がだんだん冷たくなって逢ってもくれなくなったから詠んだんだそうです。
言い寄った女性に嫌われたから、誰も私を可哀想だと言ってくれない、
ああ、このままむなしく死んでしまうのだよ、と嘆いているようですね。
失恋の痛手に嘆く優男の風情で、ひょっとしたら母性本能をくすぐられる男なのかもしれません。


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実はこの歌の作者、謙徳公は才色兼備の相当な風流貴公子だったようです。
この人が「ああ、このまま嘆き悲しんで私は死んでしまうのだろうか」なんて言ったら、
周りの女性が「ああ、なんてことでしょう」とわっと騒ぎたてたことでしょう。
母性本能をかき立てるどころか、美男特有のパフォーマンスだったのかもしれませんね。
でも今の世の中、本当にちょっとしたことで世の中に絶望して犯罪に走るとか、
閉じこもってしまうことも多いですね。
確かにストレスの多い世の中ですが、
男性も女性も一度くらいの失恋でくよくよせずに、
独り身のイイ男イイ女はいっぱい世の中に余っているのですから。
明るくいきましょう。