あふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし(あうことの たえてしなくは なかなかに ひとをもみをも うらみざらまし)

*作者 中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)



( 現代語訳 )


もし逢うことが絶対にないのならば、かえってあの人のつれなさも、
我が身の辛い運命も恨むことはしないのに。(そんなに滅多に逢えないなんて)



( 言葉 )


【逢ふこと】

男女の逢瀬のことです。


【絶えてしなくは】

「絶えて」は副詞で、下に打消しの語を加えて強い否定「絶対に〜しない」を表します。
「し」は強意の間投助詞です。
「なくは」は下の句の「まし」とともに、
「…なくは …まし」(…なければ …だろうに)という「反実仮想」の構文を作ります。
反実仮想とは、現実と違うシチュエーションを思い描いて、結果を予想する文章です。

 
【なかなかに】

「かえって」とか「なまじっか」という意味で、物事が中途半端なので、
むしろ現状とは反対の方がよいという感じを表しています。



【人をも身をも】

「人」は相手のことで、「身」は自分のことです。
「も」は並列の係助詞で、「相手の不実をも、自分の辛い運命も」という意味になります。


【恨みざらまし】

「恨むことはしないだろうに」という意味で、
「ざら」は打消の助動詞「ず」の未然形、「まし」は反実仮想の助動詞です。

( 鑑賞 )

もしまったく逢えないでいれば、相手の冷たさに身もだえするような想いを感じなくて済むのに。
内裏で一瞬見かけたり、通廊ですれ違ったり、少しだけ声を掛けてもらったり、
それもちょっと話すだけで終わったり。この気持ちの辛さ、誰に伝えればいいのでしょう。


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恋心、というのは複雑かつ不思議なもので、どんな美女が相手でも、
あまりにも熱心に言い寄ってくると醒めてしまうものですが、
逆に滅多に逢えないだとか冷たく袖にされたりすると、熱く燃え上がるものです。
まったく逢えなかったり死んだりしていれば、きっぱりあきらめもつくのでしょうが、
1年に何度か逢いにやってきたり、たまに見かけたりする時に思わせぶりな態度を取られたりすると、
ついひょっとしたら私に気があるのかも、と思わぬ期待をかけてしまうもの。
そうするうちに、想いは現実を越えてつのる一方になってしまいます。
この歌はそうした恋の機微を伝えるもの。こういう気持ちを上手く操れれば、
「恋のテクニック」になったり、お互い牽制しあえば「恋のかけひき」になるのかもしれません。