恋すてふ わが名はまだき たちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか(こいすちょう わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもいそめしか)

*作者 壬生忠見(みぶのただみ)



( 現代語訳 )


「恋している」という私の噂がもう立ってしまった。
誰にも知られないように、心ひそかに思いはじめたばかりなのに。



( 言葉 )


【恋すてふ】

「てふ」は「といふ」がつづまった形で、「チョウ」と発音します。
「恋しているという」という意味です。


【わが名はまだき】

「名」は世間の噂や評判を意味しています。
「まだき」は「早くも」という意味の副詞です。
「私の噂がもう」という意味になります。


【立ちにけり】

「立ち」は動詞「立つ」の連用形で、「けり」は今初めて気付いた感動を表す助動詞です。
「立ってしまっていた」という意味でここまでで
「恋しているという私の噂が早くも立ってしまっていた」
という意味になります。


【人知れずこそ思ひそめしか】

「知れ」は動詞「知る」の未然形で、「知られる」の意味になります。
「思ひ初(そ)め」は、「恋はまだはじまったばかり」という意味です。
「しか」は過去の助動詞「き」の已然形ですが、係助詞「こそ」の下に已然形が続く場合は、
「…だけれども」という逆接になります。
よって全体で「他人に知られないよう、密かに思いはじめたばかりなのに」という意味です。



( 鑑賞 )

「あの人、恋してるよ」「誰か好きな人がいるんじゃない?」
などと人々が噂しているようだ。もう私の噂が立ってしまったのか。
誰にもさとられないよう、想いはじめたばかりだというのに。


*--------*


恋する気持ちは、とても繊細なものなので、はじめは誰にもさとられたくないものですよね。
「言い出せなくて」とか「わざと冷たくあたったり」など、音楽の歌詞にもよくでてきますが、
恋心というものは、なかなか微妙なものなのです。
けれど、女性などは特にそうですが恋しはじめると急に綺麗になったり、
時々ぼーっと物想いにふけったり、きざしみたいなものは、第三者の目から見ればよくわかるものなのです。
この歌は、素直な詠みぶりで、恋を見抜かれてしまった驚きや恋心に揺れる微妙な心理が、
倒置法などさりげない技巧で的確に表現されています。


*--------*


  ところで、この歌とよく似ているのが、同じ百人一首の平兼盛の歌。
  しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
似ているどころか、この2つの歌は、村上天皇が主催した天徳4(960)年の「天徳内裏歌合」で、
「忍ぶ恋」の題でどちらが優れているか競ったものなのです。
どちらも名歌なので、判定が決まらず困っていたところ、帝が「しのぶれど」の歌を口ずさんだことから、
平兼盛の勝ちとなったというエピソードが伝えられています。
しかし負けた壬生忠見は平静ではいられませんでした。
落胆のあまり食欲がなくなり、今で言う拒食症になってついには亡くなってしまった、
という話が伝わっていますが、これは大げさな作り話のようです。
しかし、それほどの名勝負として後世に伝えられたのでした。