*作者 清原深養父(きよはらのふかやぶ)
( 現代語訳 )
夏の夜は(とても短いので)まだ宵の時分だなあと思っていたら、もう明けてしまった。
月も(西の山かげに隠れる暇もなくて)いったい雲のどこのあたりに宿をとっているのだろうか。
( 言葉 )
【夏の夜は】
助詞「は」は、他と区別する意味があるので「夏の夜というものは」というような区別した意味になります。
【まだ宵(よひ)ながら】
「宵(よひ)」は日没からしばらくの間で、夏なら午後7時から9時くらいの間です。
「ながら」は「〜のままの状態で」という意味で、「まだ宵のままでいるうちに」というような意味になります。
【明けぬるを】
「明けたのだが」という意味で、「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形です。
接続助詞「を」は順接となり、「〜ので」という 意味で次の句につながります。
【雲のいづこに】
「いづこ」は、「どこに?」という意味になります。
【月宿(やど)るらむ】
助動詞「らむ」は、現在の状態の推量で、「今は見えないが今ごろ〜しているだろう」と思っている意味になります。
月は、十六夜(いざよい)の月より後のもので、夜が明けても沈まず空に残っています。
そこで、「どの雲に隠れているのか」という推量 を、
月を人間になぞらえる擬人法で「どの雲に宿をとっているのだ」と表現しています。
( 鑑賞 )
夏の夜は本当に短いものだ。まだ夜になったばかりの宵口だと思っていたら、もう明けてしまった。
これだけ明けるのが早いと、月もとうてい西の山までたどりついて休むことはできないだろう。
今、空のどのへんにいるのやら。雲のどこかに宿をとって、ぐっすり休んでいるんだろうか?
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ここのところ恋の歌が続きましたので、こういう情景を歌ったさっぱりした歌だと、
キツネにつままれたように感じるかもしれません。
たった今、夜になったかと思ったらもう明けてしまった。
なんと夏の夜の短いことだろう、という内容を、月が雲にお宿をとったと擬人法を使って描いた歌です。
冷静に考えてみると、作者は夜になってから明けるまでずっと月を眺めていたのだろうか、なんて思うかもしれません。
なんとまあ暢気なことでしょうか。
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現実には夏の夜は明けるのが早いから月が西に沈む間もない、なんてことはありません。
しかし夏の夜、中天に雲に隠れては現れる月をイメージしてみると、
いかにも夏らしいさっぱりとした趣のある歌だと思えるでしょう。
作者、清原深養父は、こうした技巧的でアイディアに富んでいながら、自然な趣のある歌を作る人だったようです。
古今集に18首の歌が採用されている歌人で、琴の名手でもあったようです。