人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける(ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににおいける)

*作者 紀貫之(きのつらゆき)



( 現代語訳 )


あなたは、さてどうでしょうね。他人の心は分からないけれど、
昔なじみのこの里では、梅の花だけがかつてと同じいい香りをただよわせていますよ。

( 言葉 )


【人は】

贈答歌ですので、「人」は直接には相手のことを指していますが、後の「ふるさと」と対比した、
一般的な「人間」という意味も含んでいます。  


【いさ心も知らず】

「いさ」は下に打消しの語をともなって、「さあどうだろうか、…ない」という意味になります。
「心も知らず」は「気持ちも分からない」という意味ですので、
全体では「さあどうだろうか、あなたの気持ちも分かったものではない」という意味になります。
「も」は強意の係助詞です。  


【ふるさとは】

「ふるさと」には、「古い里」「古くからなじんだ場所」「生まれた土地」「古都」などの意味があり、
ここでは「古くから慣れ親しんだ場所」という意味になります。  


【花ぞ】

「花」は普通桜を指しますが、ここでは「梅」です。
「人の心」と「ふるさとの花」が対置されています。  


【昔の香ににほひける】

「にほひ」は動詞「にほふ」の連用形で「花が美しく咲く」という意味です。
色彩の華やかさを表してる言葉でしたが、
平安時代になると視覚だけでなく「香り」といった嗅覚も含まれるようになりました。

( 鑑賞 )

さて、この歌は古今集に収められたものですが、詞書に「初瀬に詣(まう)づるごとに宿りける人の家に、
久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家の主人(あるじ)、
『かく定かになむ宿りは在る』と言ひ出して
「侍(はべ)りければ、そこに立てりける梅の花を折りて詠める」とあります。
すなわち、昔は初瀬の長谷(はせ)寺へお参りに行くたびに泊まっていた宿にしばらく行かなくなっていて、
何年も後に訪れてみたら、宿の主人が
「このように確かに、お宿は昔のままでございますというのに」
(あなたは心変わりされて、ずいぶんおいでにならなかったですね)と言った。
そこで、その辺りの梅の枝をひとさし折ってこの歌を詠んだ、ということですね。


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  あなたの方はどうだったんです? ちゃんとずっと覚えていていただいてたんでしょうかね。
昔よく訪れたこの里は、昔ながらに梅の良い香りを漂わせていますのに。


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  紀貫之は、「土佐日記」で歴史上はじめて日記文学を書いたり、
 古今集を先頭に立って編集し、歌論として有名な「仮名序」を書くなど、
平安時代を代表する「大文豪」です。
その彼が久々に訪れた宿。
まあ言うなれば、昔なじみだったホテルを久々に訪れた老いた大俳優が支配人から
 「ホテルは昔のままでございますよ。あなたはお変わりになられたようですが」
 などと言われたので、花びんのバラの花を一本抜いて、
 「君も私のことなんて忘れてたんじゃないかね。世間ってものは忘れっぽいものさ。
花びんのバラはずっと昔のままだけどね」
なんて小粋に切り返した、といったところでしょうか。
この歌に紀貫之の機転と粋でダンディな雰囲気を感じてしまうのは、
私だけでしょうか。
  もちろん宿の主人が女性で、遠い昔の恋愛を暗示している、と考えることもできます。
どちらにせよ、紀貫之が世間と人生を語る一首といってよいでしょうか。