朝ぼらけ ありあけの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪(あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき)

*作者 坂上是則(さかのうえのこれのり)


( 現代語訳 )


明け方、空がほのかに明るくなってきた頃、有明の月かと思うほど明るく、
吉野の里に白々と雪が降っていることだよ。



( 言葉 )



【朝ぼらけ】

  夜が明けてきて、ほのかにあたりが明るくなってくる頃。


【有明の月】

夜明けの空に残って、明るく光っている月。


【みるまでに】

この「みる」は、「見る」ではなく、「思う」とか「判断する」という意味。
「まで」は極端な程度を表す副助詞で、「思うばかりに」というほどの意味になります。


【吉野の里】

吉野は、大和国(現在の奈良県吉野郡)吉野のあたり一帯。
平安時代には、春は桜、冬は雪の名所として知られる山里でした。


【ふれる白雪】

「る」は、継続を示す助動詞「り」の連体形で、雪が降り続いているという意味です。
「体言止め」が使われています。



( 鑑賞 )

坂上是則は、世に名高い三十六歌仙の一人です。
三十六歌仙とは11世紀に藤原公任が選んだと言われる和歌の名手36人のこと。
是則の他に、小野小町や在原業平、紀貫之などが名を連ねています。


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  そんな是則が、大和権少掾に任ぜられて
大和に赴いた延喜六年(908年)の冬のこと。
吉野の山の近くにある宿に泊まった夜明けにふと目を覚ますと、
表がとても明るいようです。
「夜明け方(有明)の月だろうか?」底冷えのする寒さの中、外を見てみると、雪が降っていました。
吉野の名所に降る雪明かり。
月の白い光を雪や霜に見立てるのは中国の漢詩でよく行われていた比喩です。
中国の大詩人・李白の作った「静夜思」にも
「牀前看月光、疑是地上霜」の一節があります。