*作者 壬生忠岑(みぶのただみね)
( 現代語訳 )
有明の月は冷ややかでそっけなく見えた。
相手の女にも冷たく帰りをせかされた。
その時から私には、夜明け前の暁ほど憂鬱で辛く感じる時はないのだ。
( 言葉 )
【有明(ありあけ)の】
十六夜以降、おおむね二十夜以降の、明け方まで空に残っている月のことです。
【つれなく見えし】
「つれなく」は形容詞「つれなし」の連用形で「冷淡だ」などの意味です。
そのまま「つれない」で現代でも意味は通じます。
「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、過去の女との別れを回想しています。
また、月のつれなさと別れた女のつれなさを重ねています。
【別れより】
「より」は時間の起点を表す格助詞で、「その時から」という意味になり、
現在までの時間の経過を表しています。
【暁(あかつき)ばかり】
「暁(あかつき)」は夜明け前のまだ暗いうちのことです。
「ばかり」は後の「なし」と組み合わせて、
「〜ほど、〜なものはない」という意味になります。
【憂(う)きものはなし】
「憂き」は形容詞「憂し」の連体形で「つらい」「憂鬱な」という意味です。
「夜明け前ほど、憂鬱な時間はない」という意味になります。
( 鑑賞 )
夜明け前の有明の月が西の空に残っている。
もうすぐ夜明けだ。
有明の月は、本当に白々と冷たくそっけない。
逢瀬にと女性の許へ行くと、とても冷たくあしらわれ、追い返すような態度をとられた。
そんなことがあってから、私には、暁ほどつらく憂鬱な時間はないのだよ。
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そこそこの年齢の男性読者の中には、ふうっとため息をつかれた方もおられるのではないでしょうか。
しょぼくれた男の哀しさ、とでも言いましょうか。
仕事でくたびれ果てて女性の家へ行ってみたら、もうあなたへ
の興味は薄れたのよ、他に優しい人ができたの、早いとこ帰ってといわんばかりの態度。
未練がましい態度をとる自分が嫌になるし、袖にされて辛いことばかり。
外へ出ると夜明けの月までそっぽを向いているようだった。
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この歌は、今まで紹介してきた恋の歌とは一線を画すものがあります。
相手が冷たくて泣き崩れる女性の歌でもなし、逢瀬を遂げた男が相手に夢中になっている歌でもない。
「癒しの場を求めて得られなかった中年男の背中の歌」なんですね。
現代の仕事に疲れた男にも少し通じる感覚で、「袖の濡れて乾く間もない」大泣きの歌より、
じんわり心にくるものがある秀歌です。
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こういう歌のような情景が小説になったら、それはハードボイルドなどと呼ばれます。
ハードボイルドというと、日本では大藪春彦の小説で有名になったため、
タフな男たちが銃で撃ち合ったり殴り合う小説だと思いがちです。
でも、ハードボイルドの魅力は実は、この歌のような
「しみじみとした実感」や「やるせなさ」にあることが多いのです。
ハードボイルドの味は若い人には分からない、なんて言いますが、
この歌にも一種そうしたところがあるのかもしれません。