*作者 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
( 現代語訳 )
もし手折(たお)るならば、あてずっぽうに折ってみようか。
真っ白な初霜が降りて見分けがつかなくなっているのだから、白菊の花と。
( 言葉 )
【心あてに】
「あて推量に」「あてずっぽうに」などの意味です。
【折らばや折らむ】
「折らば」は四段活用動詞「折る」の未然形に接続助詞「ば」ついたもので仮定条件を表します。
「や」は疑問の係助詞です。
「む」は意志の助動詞で上の「や」と係り結びになっています。
全体では「もしも折るというなら折ってみようか」という意味です。
【初霜】
その年はじめて降りる霜のことです。
晩秋に降ります。
【置きまどはせる】
「置く」は、「(霜が)降りる」という意味です。
「まどはす」は、「まぎらわしくする」という意味で、白菊の上に白い霜が降りて、
白菊と見分けにくくなっている、という意味を表します。
【白菊の花】
上の句の「折らばや」に続く、倒置法になっています。
( 鑑賞 )
今朝は特別肌寒い。空気が刺すように冷たく、吐く息が白く濁る。
手のひらに息を吹きかけてこすりながら縁側へ出てみると、
庭の可憐な白菊の上に鈍くも白い初霜が降りている。
寒いわけだ、初霜とは。初霜も白いので、白菊の花を折ろうと思っても、どれが白菊だか分からない。
あてずっぽうに折るしかないだろうな、初霜でまぎらわしくなっているから。
白菊の花が。
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霜の降る朝の凛とした寒気、
そして白菊の可憐な白さと誰も手を触れていない初霜の清楚な白さが合わされて、
非常に高潔な美が描写されている一首です。
「初」というのは清らかさがイメージされる表現ですが、
そこにきりっと体が引き締まるような冷気を加えて、
この歌の格調を醸し出しているようです。
倒置法にしたことで、
最後に持ってきた「白菊の花」に焦点が絞られるように組み立てられてもいます。
派手な言葉遊びや序詞は使っていないものの、
さりげなく上手い、名人の手になる一首でしょう。
さすが下級役人ながら古今集の撰者となり、
紀貫之のライバルと目された作者の面目躍如というところでしょう。
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実はこの歌は、明治時代の大俳人・正岡子規が「五たび歌よみに与ふる書」の中で、
「初霜が降りたくらいで白菊が見えなくなるわけではない。
これは嘘の趣向である」と酷評しています。
今読むと、子規の批判の仕方は風流を解しないなあ、
ちょっと真面目すぎるんじゃないか、とも思われますね。
特に凡河内躬恒は知的で深い思索的な歌を得意とする歌人ですので、
この評価はちょっといただけない感じがします。
ただし、子規は「恋に悲しめば、誰も一晩中袖が濡れ続けるほど泣いているのか」などといった、
王朝風のすでに使い古されて陳腐になってしまった大げさな表現を今だに大事にしている歌の
世界に疑問を感じて、
「写生」つまりリアリティの大切さを説きたかったわけです。
今では子規をはじめとする先人の活躍で、
歌の世界も構造改革がなされましたので、
百人一首などの古い名歌もまた、楽しめる余裕が出てきています。