小倉山 峰のもみぢば 心あらば いまひとたびの みゆきまたなむ(おぐらやま みねのもみじば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなん)

*作者 貞信公(ていしんこう)

( 現代語訳 )


恋しい人に逢える「逢坂山」、一緒にひと夜を過ごせる「小寝葛(さねかずら)」
その名前にそむかないならば、逢坂山のさねかずらをたぐり寄せるように、
誰にも知られずあなたを連れ出す方法があればいいのに。

( 言葉 )


【名にし負(お)はば】

「名に負(お)ふ」は「〜という名前をもつ」という意味です。
「し」は強意の副助詞で、動詞「負(お)ふ」の未然形に接続助詞「ば」がつき仮定を示します。
「名に背かぬなら」という意味になります。


【逢坂山(あふさかやま)】

山城国(現在の京都府)と近江国(現在の滋賀県)の国境にあった山で関所がありました。
「逢ふ」との掛詞になっています。


【さねかずら】

つる性の植物で、「五味子(ごみし)」とも言います。
「小寝(さね=一緒に寝ること)」との掛詞です。


【人に知られで】

「で」は打消の接続助詞で、「人」は「他の人」という意味です。
「他人に知られないで」という意味になります。


【くるよしもがな】

「くる」は「来る」と「繰る」の掛詞です。
「繰る」は「たぐり寄せる」という意味です。
「よし」は「方法」などの意味で、「もがな」は願望の終助詞になります。
「あなたを連れて来る手だてが欲しいよ」という意味になります。

( 鑑賞 )

「あまりに美しい小倉山の紅葉よ。
もし人の心が分かるなら、もう一度天皇がおいでになるまで、
その美しさを失わないでおくれ。」
あまりの紅葉の美しさに感動して、口をついた言葉のようでもありますね。
この歌は、「拾遺集」の詞書(ことばがき・短歌の紹介文)に、亭子院(時の宇多上皇)が大堰川に遊ばれた時、
見事な小倉山の紅葉に感動して、「我が子、醍醐(だいご)天皇にもこの紅葉をぜひ見せたいものだ」
と言ったのを、貞信公が醍醐天皇に伝えたくて作ったもの、と書かれています。


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貞信公は、藤原氏が栄える基を作った大人物。天皇にも当然影響力を持つ政治家でした。
ここでは、紅葉を人になぞらえて歌っていますが、逆に見ると
「天皇陛下、紅葉は今が盛りです。美しい今のうちに、行幸されればいかがでしょうか」と、
暗に天皇陛下に紅葉見物を勧めている歌なのです。
しかし、百人一首に残るような名歌で天皇を動かすなど、
古の政治家は雅を解する心にあふれていたのでしょうか。