このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢのにしき 神のまにまに(このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに)

*作者 菅家(かんけ)



( 現代語訳 )


今度の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした。
手向けの山の紅葉を捧げるので、神よ御心のままにお受け取りください。



( 言葉 )


【このたびは】

 「たび」は「旅」と「度」の掛詞で、「今度の旅は」という意味になります。


【幣も取りあへず】

 「幣(ぬさ)」は色とりどりの木綿や錦、紙を細かく切ったもの。
旅の途中で道祖神にお参りするときに捧げました。
「取りあへず」は「用意するひまがなく」という意味になります。  


【手向(たむけ)山】

 山城国(現在の京都府)から大和国(現在の奈良)へと行くときに越す山の峠を指し、
さらに「神に幣を捧げる」という意味の「手向(たむ)け」が掛けてあります。  


【神のまにまに】

 「神の御心のままに」というような意味になります。


( 鑑賞 )

回の歌は、学問の神様・菅原道真公のものです。
日本史上指折りの学者でしたので、尊敬をこめて「菅家」とか「菅公」と呼ばれます。


*--------*


  この歌は、道真の才能を買って右大臣にまで
取り立てた宇田上皇(朱雀院)の宮滝御幸の時に詠まれた歌です。
宮滝は現在の奈良県吉野郡吉野町。
この御幸はとても盛大なものだったようで、道真ら歌人も多数お供しました。
その時に詠まれたのでした。
             
*--------*


  歌はちょっとわかりにくいところもありますが、
旅の途中、道ばたの道祖神(今のお地蔵さんのようなものです)にお参りする時に
 捧げるきれいな紙切れや布切れの代わりに、
美しく色づいた紅葉を神に捧げましょう、という歌です。
 「急な旅立ちで持ってこられなかったけれど、紅葉を幣に見立てましょう」というわけです。
  吉野の山の絢爛豪華な紅葉がイメージできるような美しい歌ですね。