吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ(ふくからに あきのくさきの しおるれば むべやまかぜを あらしというらん)

*作者 文屋康秀(ふんやのやすひで)



( 現代語訳 )


「今すぐに参ります」とあなたが言ったばかりに、
9月の夜長をひたすら眠らずに待っているうちに、夜明けに出る有明の月が出てきてしまいました。



( 言葉 )


【今来むと】

「今」は「すぐに」の意味で、「む」は意志を表す助動詞です。
「来む」というのは、平安時代には男を待つ側であった女性の立場での表現です。  


【言ひしばかりに】

「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、「ばかり」は限定の助動詞です。
全体で「(男がすぐ行くと)言ってよこしたばかりに」という意味を表します。  


【長月】

陰暦の9月で、夜が長い晩秋の頃です。


【有明の月】

夜更けに昇ってきて、夜明けまで空に残っている月のこと。
満月を過ぎた十六夜以降の月です。


【待ち出でつるかな】

「待ち出づ」は「待っていて出会う」という意味で、それに完了の助動詞「つる」の連体形と詠嘆の終助詞「かな」がついています。
「待ち」は自分が待っていることで、「出で」は月が出てきたことを示します。
要するに、男が来るのを待っているうちに月が出てしまったことをまとめて言った表現です。



( 鑑賞 )

漢字の「山」と「風」を組み合わせると「嵐」になりますね。
この歌はそうした漢字遊びを取り入れながら、山を転がり落ちてくる晩秋の激しい風の様子を詠んだ歌でもあります。
「古今集」の詞書には「是貞(これさだ)の親王(みこ)の家の歌合の歌」とあります。
漢字遊びを取り入れたところが、歌会
 にふさわしくトリッキーな感じで、康秀の機知に皆はさぞかし感心したことでしょう。


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  山から秋風が吹き降りてくれば、とたんに次々と草木が枯れ萎えてしまう。
なるほど、だから山風のことを草木を荒らす「荒らし」「嵐」と言うのか。
秋の夜に吹き荒れる激しい風の音を聞き、茶色く枯れしおれていく野の草に、
冬の到来を感じながら、康秀はこの「嵐」の歌を詠んだのでしょうか。
機知や言葉遊びというと軽い感じがしますが、この歌にはどこか荒涼とした嵐に、激しいイメージが喚起されます。


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ところで文屋康秀という人は、小野小町の恋人の一人だったようで、
三河掾に任命されて三河国に向かう時、小野小町に「一緒に来てくれないか」と誘ったそうです。
 それに対して小町は、
わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘う水あらば いなむとぞ思ふ
 (落ちぶれていますので、この身を浮き草として根を断ち切って誘い流してくれる水があるなら、ついて行こうと思います)
 と答えています。はたして、小野小町はついていったのでしょうか。