いまこむと いひしばかりに 長月の ありあけの月を 待ちいでつるかな(いまこんと いいしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな)

*作者 素性法師(そせいほうし)



( 現代語訳 )


「今すぐに参ります」とあなたが言ったばかりに、
9月の夜長をひたすら眠らずに待っているうちに、
夜明けに出る有明の月が出てきてしまいました。



( 言葉 )


【今来むと】

 「今」は「すぐに」の意味で、「む」は意志を表す助動詞です。
「来む」というのは、平安時代には男を待つ側であった女性の立場での表現です。


【言ひしばかりに】

「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、
「ばかり」は限定の助動詞です。
全体で「(男がすぐ行くと)言ってよこしたばかりに」という意味を表します。  


【長月】

陰暦の9月で、夜が長い晩秋の頃です。


【有明の月】

夜更けに昇ってきて、夜明けまで空に残っている月のこと。
満月を過ぎた十六夜以降の月です。  


【待ち出でつるかな】

「待ち出づ」は「待っていて出会う」という意味で、
それに完了の助動詞「つる」の連体形と詠嘆の終助詞「かな」がついています。
「待ち」は自分が待っていることで、
「出で」は月が出てきたことを示します。
要するに、男が来るのを待っているうちに月が出てしまったことをまとめて言った表現です。

( 鑑賞 )

あの人は「すぐ行きます、待っててくださいね」なんて言ったのに。
優しそうな人だったのにな。
結局私は待ちぼうけ。
夜遅くなってもあの人は来ないし、眠らずに待ってたら、
出てきたのは夜更けの有明けの月だけ。
普通なら男が帰っていく時刻じゃないの。
結局、月を待って夜を過ごしたことになるのかあ。
あたしっていったい何なんだろう…。


*--------*


現代風に情景を読んでみれば、こんなところになるでしょうか。
女心と秋の空、何て言いますが、男の約束もあてになりませんね。
百人一首ではおなじみの恋に身をこがす歌のひとつですが、
この歌には毎夜袖が乾かない、
といった泣き暮れるような激情ではなく、
どこか呆れたような独特のやるせなさが感じられます。
少し間が抜けているところに味があり、テレビドラマでいうなら、
桃井かおりや最近なら深津絵里といった実力派の女優さんに、
「あーあ、あたしったら期待してバカじゃないの〜。月が出てきちゃったあ」
と嘆かせたら似合うでしょうね。


*--------*


撰者・藤原定家は、この歌の「月来(つきごろ)」説を唱えました。
一夜待っていただけではなく、何カ月も待ったあげく、
ついに9月の有明の月を見るに至った、という解釈です。
こうなると歌の内容はぐっと重くなり、演歌のような情念の深さを感じます。
しかし冒頭で男が「今来む」と軽く言っていることから、そこまでの歌ではなく、
一夜をすっぽかされた女のやるせない心を表現したと考える方が一般的のようです。
それにしても、百人一首の恋歌は現代風の解釈が十分通じるほど
魅力に富んでいるといってよいでしょう。
男と女の心が、千年変わらない、
と思う方が適切なのかもしれませんが。