*作者 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)
( 現代語訳 )
住之江の岸に寄せる波の「寄る」という言葉ではないけれど、
夜でさえ、夢の中で私のもとへ通う道でさえ、
どうしてあなたはこんなに人目を避けて出てきてくれないのでしょうか。
( 言葉 )
【住の江の】
「住の江」は、摂津国住吉(せっつのくにすみよし=現在の大阪府大阪市住吉区)の海岸のことです。
【岸による波】
「よる」は「寄せてくる」という意味です。
ここまでが「寄る」と同音の「夜」を導きだす序詞になります。
【夜さへや】
「さへ」は、すでにある事実に、さらに他の事実が加わり、「… までも」という意味になります。
「や」は疑問の意味を表す係助詞で、全体で「(昼間ならともかく)夜までも…するのか」という意味です。
【夢の通ひ路(ぢ)】
「夢の中で女性のもとに通っていく道すがら」という意味です。
現実の話ではなく、夢の中での話です。
【人目(ひとめ)よくらむ】
「人目(ひとめ)」は「他人の見る目」のことです。
「よく」は「避ける」という意味の下二段動詞の終止形。
「らむ」は原因や理由を推量する助動詞の連体形で、「夜さへや」の係助詞「や」の結びとなります。
全体で「他人の目を避けてしまうのだろう」という意味になります。
( 鑑賞 )
あの住之江の岸に寄せる波の「よる」ではないけれど、
人目が気になる夜でもないのに、ましてや現実ではないのに。
どうして夢の中でさえ、私に逢いに来るのに人目を避けて出てきていただけないのでしょう。
私への想いなんて、ひとつもないのでしょうか。
*--------*
平安時代の貴族たちにとって、夢には特別の意味がありました。
自分の見た夢で吉凶を占うことも普通に行われていましたが、
何より恋する相手が自分の夢の中にたくさん出てくるほど、
相手が自分のことを好きなのだ、と思われていたのです。
要するに、夢は恋の深さを調べるバロメーターだったわけです。
きっと中には、
「あなた、私のこと嫌いになったでしょ!」
「そんなことないよ、ずっと変わらず愛してるよ」
「ウソよ! だって最近私の夢の中に全然出てこないじゃない!」
なんて冗談のような痴話喧嘩もあったかもしれませんね。
逆に何とも思っていなかった女性から、
「私の夢によくお現れになるんですのよ」
なんて言われて、
「そうか、それなら私はあの女性のことが好きだったのか」
と思い、
そこから恋がはじまることもあるかもしれません。
慣習というのは不思議なものですね。
*--------*
まあ、それは半分冗談ですが、何といっても人目を忍ぶ恋というのは不安なものです。
平安時代は、男性が女性の家へ通う通い婚が慣習でした。
男性が見限ってしまうと、もう女性の家へはやって来なくなります。
当然女性は、いつ自分が捨てられるかもしれないという、
不安な心境にさいなまれていたわけです。
自分の好きな人が、最近夢に全然現れなくなった。
あの人はもう私のことなんて忘れてしまったんじゃないかしら。
忍ぶ恋のつらさがひしひしと感じられる歌でもあります。
また、人目を忍ぶ恋こそが醍醐味だなんて声もあるかもしれませんね。
「あたしがこんなに愛してるのに、
どうしてあなたは夢にも出てきてくれないの。気の弱い人ね」
なんてかわいい嫉妬を描いたものだ、なんて現代風な解釈も成り立つかも。
作者の藤原敏行は男性ですが、歌合せでこんな歌を詠んで人気になるほど、
平安時代の貴族たちは恋を楽しんだ、ということでしょう。