*作者 在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)
( 現代語訳 )
さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、
こんなことは聞いたことがない。
龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、
水をしぼり染めにしているとは。
( 言葉 )
【千早(ちはや)ぶる】
次の「神」にかかる枕詞で、
「いち=激い勢いで」
「はや=敏捷に」
「ぶる=ふるまう」
という言葉を縮めたものです。
【神代(かみよ)もきかず】
「神代(かみよ)」とは、
「(太古の)神々の時代」という意味です。
不思議なことが当たり前に起こった「神々の時代でも聞いたことがない」という意味になります。
下の句に記すのは、
それほど不思議な現象だということを言っています。
【竜田川(たつたがは)】
竜田川は、紅葉の名所で、
現在の奈良県生駒郡斑鳩町竜田にある竜田山のほとりを流れる川のことです。
【からくれなゐに】
「鮮やかな紅色」という意味です。
「から」は「韓の国」や「唐土(もろこし)」を意味する言葉で、
「韓や唐土から渡ってきた素晴らしい品」を表す接頭語(頭につける語)でした。
当時の韓 や唐土というと先進国で優れた品が日本に渡ってきていたので、
こういう意味となったのです。
【水くくるとは】
「くくる」は「括り染め」、つまり「絞り染め」にするという意味です。
「(竜田川が)川の水を括り染めにしてしまうとは」という意味で、
紅葉が川一面を真っ赤にして流れていることを、
竜田川が川の水を絞り染めにしてしまった、と見立てます。
また竜田川を主語にして「擬人法」を使い、
また「とは」は上の句の「神代も聞かず」につながるので、倒置法も使われています。
( 鑑賞 )
神々が住み、不思議なことが当たり前のように起こっていた、
いにしえの神代でさえも、こんな不思議で美しいことは起きなかったに違いない。
奈良の竜田川の流れが、舞い落ちた紅葉を乗せて、
鮮やかな唐紅の絞り染めになっているなんて。
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この歌は「屏風歌」です。屏風歌とは、屏風に描かれた絵に合わせて、その脇に和歌を付けたものです。
古今集の詞書には
「二条(にでう)の后(きさい)の春宮(とうぐう)の御息所(みやすどころ)
と申しける時に、御屏風(みびゃうぶ)に龍田川に紅葉流れたる形(かた)を描きけるを」
とあります。
二条の后とは、藤原長良(ながら)の娘の高子(たかいこ)のことで、
清和天皇の女御(にょうご=天皇の側室)でした。
その二条の后が、春宮(皇太子)の御息所(=皇子を生んだ女御)だった頃、
后の屏風に竜田川に紅葉が流れている絵が描かれているのを、
作者の在原業平が見て、付けた歌だということです。
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この歌はとても色彩感のあふれる歌で、百人一首の中でも憶えておられる人も多いでしょう。
それくらい華麗で、しかも
●竜田川を人とみなす「擬人法」
●川に紅葉が流れる様子を、唐紅色に絞り染めにした、と見なす「見立て」
●普通の言葉の順序なら、唐紅に 水くくるとは 神代も聞かずになるところを逆にした「倒置法」
など、さまざまなテクニックが使われています。
在原業平は平安時代を代表する美男子で、恋多き人でした。
「伊勢物語」の主人公のモデルとされ、
この歌を捧げた天皇の女御・二条の后とも実は恋愛関係にあったそうです。
この歌を見ると、その華麗なるテクニックと話ぶりの機知が伺えますね。
きっといつも女性がそばにいて、
華やかな会話を交わしていたのでしょう。
ちょっと羨ましい気がします。