たちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰りこむ(たちわかれ いなばのやまの みねにおうる まつとしきかば いまかえりこん)

*作者 中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)



( 現代語訳 )

お別れして、因幡の国へ行く私ですが、因幡の稲羽山の峰に生えている松の木のように、
私の帰りを待つと聞いたなら、すぐに戻ってまいりましょう。



( 言葉 )


【たち別れ】

「たち」は接頭語。
行平は855年に因幡(いなば)国(現在の鳥取県)の守となりました。
その赴任のための別れを表しています。  


【いなばの山】

因幡の国庁近くにある稲羽山のこと。
「往なば(行ってしまったならの意味)」と掛詞になっています。  


【生(お)ふる】

動詞「生ふ」の連体形。
生える、という意味です。  


【まつとし聞かば】

 「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞。
「し」は強調の副助詞、「聞かば」は仮定を表します。
全体では「待っていると聞いたならば」の意味となります。  


【今帰り来む】

「今」は「すぐに」を意味しており、「む」は意志の助動詞。
「すぐに帰ってくるよ」という意味です。



( 鑑賞 )

855年の春、行平が因幡守に任ぜられ、
赴任地へ向かうときに、送別の宴で詠んだ挨拶の歌です。
お別れですが、因幡国・稲羽の山に生える松のように「待っているよ」と言われたならば、
すぐにでも帰ってきましょうぞ。
都から遠く離れた地方都市へ赴任する自分の身を思い、
都への断ちがたい思慕を詠んだせつない歌です。
別れの名句といえるでしょう。


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  冒頭で紹介したように、この歌は「別れた人や動物が戻って来るように」と
願掛けをするときに使われる有名な歌です。
ユーモアエッセイの名手、内田百間(門に月の字)の本に
「ノラや」という連作エッセイがあります。
その中でいなくなった愛猫、ノラが戻って来るように、
このおまじないをするシーンがあります。
この歌の切なさが、いなくなった動物へ寄せる思いに通じ、
こうしたおまじないが生まれたのでしょう。
もし飼い猫がいなくなった時には、試してみてください。