*作者 僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
( 現代語訳 )
天を吹く風よ、天女たちが帰っていく雲の中の通り道を吹き閉ざしてくれ。
乙女たちの美しい舞姿を、もうしばらく地上に留めておきたいのだ。
( 言葉 )
【天津風(あまつかぜ)】
「天津風」とは「空高く、天を吹く風」のこと。
ここでは「天を吹く風よ」と呼びかけた形になっています。
「つ」は「沖つ波」 などと同じで、「の」と同じ意味の古い格助詞です。
【雲の通ひ路(かよひじ)】
雲の中にある、天上と地上を結んでいる通路のことで、
天女がそこを通って天と地を行き交うと考えられていました。
【吹き閉ぢよ】
「雲を吹き飛ばして、天女の通り道を閉ざしてしまえ」という意味です。
通り道を塞げば、天女が天上に帰るのを妨げることができるからです。
【をとめの姿】
「をとめ」とは「天つ乙女」、つまり「天女」のことです。
この歌は陰暦11月の新嘗祭(にいなめさい)翌日に宮中で披露される
「五節の舞」を舞う少女たちのことを歌ったものですが、少女を天女に見立てています。
【しばしとどめむ】
下二段活用動詞「とどむ」の未然形に意志の助動詞「む」の終止形がついた形で、
「しばらく止めておこう」という意味です。
舞う乙女たちがあまりに美しく、
いつまでも見ていたいので、天に帰ってしまうのを、
しばらくストップさせよう、という意味です。
( 鑑賞 )
天を吹く風よ、天上界と地上を結ぶ雲の中の通り道をしばらく吹き閉ざして塞いでおいてくれ。
あの美しい娘達が舞っている姿があまりに美しく、しばらくそのまま見ていたいのだ。
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お正月にふさわしい、天女たちの舞姿を描いた一首。
「古今集」の詞書によると「五節(ごせち)の舞姫を見て詠める」とあります。
「五節の舞」とは陰暦11月中旬に行われる新嘗祭(にいなめさい)の翌日、
「豊明節会(とよのあかりのせちえ)」の宴の後に公家や
国司の家から選ばれた未婚の美しい娘5人が踊る舞楽のことです。
もちろん公家の娘ですから天女ではありませんが、
この舞の奉納自体が、かつて天智天皇が吉野に御幸したおり、
天女が舞い降りてきたという伝説に基づいたものです。
そこで僧正遍照は、少女たちの舞う姿があまりに美しかったので、こんな歌を歌ったのでしょう。
西洋ならば「エンジェルたちが下りてきて」といったところ。
縁起の良い典雅な歌で、天女のはばたきが聞こえてくるようです。
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僧正遍照は、出家する前の名前を良岑宗貞といい、
深草少将と呼ばれていました。
同じ六歌仙だった小野小町との恋愛は有名で、
小町伝説の中には、こんな話もあります。
深草少将は、小野小町が地方へ下った後も恋するあまり、
官職をなげうって小町の住処へ出向きます。
小野小町は疱瘡を病んでいたために治るまでの時間稼ぎとして、
「もし私に会いたいなら、毎日私の庭に1本づつシャクヤクの花を植えてください。
それが100本になったら、あなたとお会いしましょう」と告げます。
そこで深草少将は毎日小町の家の門前に来て花を植えますが、
ちょうど今日で100本というその日に嵐に遭い、
少将は川に掛けた橋が崩れたため濁流に呑まれ、死んでしまったのでした。
もちろん若い頃亡くなっていれば、
出家することもないのでこれは伝説です。
しかしこうした伝説が生まれたり恋愛で騒がれるということは、
小野小町や深草少将など当時の有名歌人は、
現代の歌手のような存在だったと想像できますね。