わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまのつり舟(わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね)

*作者 参議篁(さんぎたかむら)



( 現代語訳 )

広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ、
と都にいる人々には告げてくれ、漁師の釣り船よ。



( 言葉 )


【わたの原】

広い大海原、という意味です。


【八十島(やそしま)かけて】

 「八十(やそ)」は「たくさん」を意味する言葉です。
また「かけ」は動詞「かく」の連用形で「目指して」という意味になります。  


【漕(こ)ぎ出でぬと】

「ぬ」は完了の助動詞で「漕ぎ出したよ」という意味になります。

 
【人には告げよ 海人(あま)の釣り舟】

 「人」とは、都にいる人々を指します。
「海人(あま)」とは、「漁師」の意味で、「釣り舟」を人間に見立てて呼びかける、擬人法を使っています。



( 鑑賞 )

この歌は、作者が隠岐へ流される時に作り、京の宮廷の人々に送った歌です。
内実を知らずに読むと「大海原へこれから漕ぎ出すぞ」という
勇気凛々とした冒険の歌かと勘違いするかもしれませんね。
  しかし作者は流刑に処せられ、これから遠く寂しい離れ小島へ渡っていくわけです。
 そこには「遠い都の人々へ伝えてくれよ、漁師の釣り船よ」と
船に語りかけながら旅立つ孤独な姿が見えまた悟りきったうな寂しい背中が見えるようでもあります。
  波間に浮かぶ小さな舟の描写が、見事に作者の孤独を表しているようではありませんか。


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  隠岐諸島は現在の島根県の沖、日本海に浮かぶ島です。今は松江
 市まで車や電車で行き、そこからフェリーに乗ればすぐです。
 しかし当時は、難波(現在の大阪市)の港から船に乗り、瀬戸内海
 を廻って本州と九州の境にある関門海峡を通り、
ぐるっと廻って隠岐まで連れて行かれたそうです。
  なぜそんな遠回りをしたのか不思議ですが、その悲しく長い旅路
 を想像すると、この歌を詠んだ作者の心の重さがずっしりと伝わってくるようですね。