*作者 蝉丸(せみまる)
( 現代語訳 )
これがあの、京から出て行く人も帰る人も、知り合いも知らない他人も、皆ここで別れ、
そしてここで出会うと言う有名な逢坂の関なのだなあ。
( 言葉 )
【これやこの】
「これがあの噂に聞くあの」というほどの意味です。
「や」は詠嘆の間投助詞です。
この句は「逢坂の関」にかかります。
【行くも帰るも】
「行く」「帰る」とも連体形なので、「行く人」「帰る人」の意味です。
さらにこの場合は、京都から出て行く人と帰ってくる人を意味しています。
【別れては】
「ては」は、動作などについての反復(繰り返し)を意味していますので、
「別れてはまた逢うを繰り返す」という意味です。
【知るも知らぬも】
これも連体形で、知人も見知らぬ人も、という意味になります。
【逢坂の関】
逢坂の関は、現在の山城国(現在の京都府)と近江国(滋賀県)の境にあった関所で、
この関の東側が東国だとされていました。
実は関所は比較的昔になくなったのですが、
歌枕としては有名でよく歌に詠まれています。
「逢坂」は「逢ふ」の掛詞。
( 鑑賞 )
この歌は、恋愛や風景描写の多い百人一首の中で、かなり特殊な歌といえます。
知っている人も知らない人も、出て行く人も帰ってくる人も、
別れてはまた逢い、逢ってはまた別れるという逢坂の関。
「行くも帰るも」「知るも知らぬも」「別れては…逢坂の」と
対になる表現を3つも盛り込んだ戯歌(ざれうた)に近い歌なのですが、
この逢坂の関はある意味人生のようで、
深い趣のある歌だといえるでしょう。
昔の歌人たちは、仏教の「会者定離(えしゃじょうり)」をこの歌に感じました。
会えば必ず別れがあり、別れてはまた出会いがある、
というような無常感をここに見たのです。
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卒業式シーズンを迎える学生や新社会人にとっては、別れはつらいものですが、
4月からはすぐに新しい学校やクラス、
会社の新しい同僚たちと出会うことになります。
新しい出会いは、必ず別れを運んでくるもの。
しかしそれも人生なのでしょう。
逢坂の関は出会いと別れを象徴する、人生そのものを暗示しているのです。