※情報は、wikipediaを参考にしています。
\円空の一生/
1632年 美濃国(現岐阜県)に生誕。羽島市と郡上市の二つの地域で生誕説が
あるが、今のところ羽島市の説の方が有力。
1663年 津軽藩の弘前城下を追われる。 
1669年  尾張・美濃の地方に戻っていた。
1671年  大和国の法隆寺に住していた巡堯春塘により法相宗の血脈を受ける。 
1679年  近江国の園城寺に住していた尊永により仏性常住金剛宝戒の血脈を
受ける。 
1680年  関東に滞住していた。上野国の貫前神社で「大般若経」を読誦する。 
1684年  再び美濃に戻り、荒子観音寺の住持であった円盛より天台円頓菩薩戒の血脈を受ける。 
1689年  円空が再興した美濃国関の弥勒寺が、天台宗寺門総本山の園城寺の
山内にあった霊鷲院兼日光院の末院となる。 
1695年  門弟の円長に対して援決集最秘師資相承の血脈を授ける。
7月15日に自坊の弥勒寺の近辺で寂す。 
江戸時代(1632年)に岐阜県で生まれた「円空」。
近畿地方から北海道の各地を遊行し、おびただしい数の円空仏を
人々の幸福を願い掘り続けました。
これらの円空仏は、全国に約5000体残っていて、
円空の自刻像と対面すると、その微笑の中に、漂白の生涯を送りながら恋愛
も施し続けた彼の人柄が感じられます。

晩年は、関市池尻に自坊をかまえ、ここを本拠地として活躍し、
1695年に池尻の長良川河川敷で入定し、
その64年にわたる生涯を終えました。

ぜひ、池尻の入定塚へ足を運んでみてください。

Enku

































Back!!