小牧・長久手の戦い
天正12年に、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。
信長が本能寺の変により死んだあとの後継者争い。
織田家筆頭家老・柴田勝家は信長の三男・信孝を擁立したが、明智光秀を討った豊臣秀吉は信長の嫡孫で幼少の三法師を推した。
清洲会議にて三法師が後継者となったが、不満を持った勝家は天正11年、信孝と謀って秀吉を討とうとしたが、賤ヶ岳の戦いで敗れる。
天正12年、秀吉は信雄の三家老・津川義冬、岡田重孝、浅井長時が秀吉に通じたというデマを流した。
これを不審に思った信雄は、3月6日に三家老を処刑して秀吉に信雄を攻撃する口実を与えた。
信雄は家康に援軍を求め、家康が3月7日に8000の兵を率いて浜松から出陣した。